去る1月21日14時~「おてら終活カフェvol.52<死生観を考えるひととき/トーク:秋田光彦住職>」を開催しました。
大蓮寺「おてらの終活」は、実務的な終活と、心に向き合う終(宗)活を両輪に活動しています。
当日は、冒頭に「死生観光トランプ」https://wakazo-deathcafe.com/shiseikanko-trump/で遊び、みなさんの頭と場をほぐしながら、世界各国のさまざまな弔いについて目を配っていきました。その後は休憩をはさんで、大蓮寺前住職・應典院住職の秋田光彦のトーク会となりました。
秋田からは以下のようなお話がありました。
死生観というと、本当に文化によって様々です。驚くほどのギャップがあるものです。しかし形式が違うから弔う気持ちも違うと決めつけことはできません。日本のお墓や、盛大なお葬式の文化も近代のものであり、それらが必ずしも正解ではありません。ただし現代は、あまりにも「死」を自分だけ(1人称)、または自分とあなただけ(たとえば近い家族だけ・2人称)に留めておくことが広がっています。それでは、亡くなった方と近しい関係だった方々、死するまで見届けた医療福祉関係の方々、そして私のような僧侶はどのように弔えばいいのでしょうか。1人称と2人称と、関係のない3人称、そしてその間にある2.5人称という死(柳田国男・説)に押し上げていくことが大切な視点ではないでしょうか。
死生観は簡単に自覚し話せるものではありませんが、「終活」をキーワードにして、このように一般市民の方々が集まり、死生観について考える時間は少ないと思います。今日をともにしてくださったことに感謝いたします。
その後は参加者も、ご自身の体験やお考えをお話くださいました。なかには入院手術を経験された方もおられ、いかに1日1日を大切に生きるかを思い知らされたとお話くださいました。
あたたかな陽ざしを感じる1日でした。参加くださった皆さま本当にありがとうございました。