民藝。暮らしの中に美はあるか。

(2023年11月20日 更新)

10月のことですが、中之島美美術館で「民藝MINGEI〜美は暮らしの中にある」の展覧会を観覧しました。約100年前に有名な思想家・柳宗悦が説いた民衆的工藝「民藝」とは、日々の生活のなかにある美を慈しみ、素材や作り手に思いを寄せる、いわば芸術の民衆運動でした。
会場には、柳たちが収集した衣食住に関わる日本の民具の類が展示されていたのですが、その形といい色合いといい、名もなき逸品に感銘を受けました。陶磁、染織り、木工、また家具調度品に至るまで、長く使い込まれ、生活や暮らしの匂いの染み付いた工藝品の数々は、「使い捨て」の社会には見当たらなくなったものばかりでした。恥ずかしながら、ここで初めて昔の雨具(蓑)を見ましたが、そのシルエットの美しさに唸りました。

日本人は、国土も住まいも限られており、それゆえ精緻かつ合理的な手法やセンスが磨かれたのでしょう。流行や情報でどんどん上塗りされていく現代とは違って、最小限なまでに絞り込んだ極限の美学とは、日本人の生活史そのものであり、柳のいう「用の美」だったのです。
翻って現代の暮らしはどうでしょうか。暮らしの美しさとかいうと、インテリアとかテーブルコーディネーションとか、カタカタ世界で華やかに語られますが、そこには流行や消費本位に走る、私たちの過剰な欲求が見え隠れしています。ほとんど使わないモノにあふれ、あるいは、必要以上の機能や便利さに振り回されているのが現実ではないでしょうか。
色も形も飽きたら次々と買い換える。いえ、その前にどんどん新製品が出るから、「長持ち」が「貧乏くさく」見える。私たちが生きる消費資本主義社会とは、そういう終わりのない欲望の拡大を目指しているのでしょう。この虚飾の美を、柳が見たらなんというでしょうか。

いまさら清貧に戻れという気はありません。暮らしは快適な方がいい。しかし、民藝的世界を単なるノスタルジーに終わらせないために、まず私たちが自己の欲望を調節する小さな試みから始めるべきでしょう。車に乗らずに歩く、買い物袋を持参する、そんなことからでいいのです。南無阿弥陀仏はシンプルな生き方の声明です。少欲知足の実践を始めてみましょう。