お寺終活祭。戒名を僧俗で語り合う。

(2019年10月07日 更新)

9月の終わりに、3回めとなる「おてら終活祭」を開催した。〈まいてら〉超宗派の僧侶が10名以上が集結、僧侶と参加者のランチ会(弁当を食しながら語り合う)でスタートした。満堂の百名が参加。

今回のイベントは、超宗派のチーム〈まいてら〉に任せたのだが、取り上げたテーマは「戒名」。市民と語り合い自分らしい戒名をつくるという。世間では戒名はブラックボックスとか言われ、イベントが成功するか半信半疑だった。

後半90分は、会場に分かれてお坊さんと生活者のワークだったのだが、これには感心した。僧侶が率直に戒名への見解や取り組みを話したからか、参加の高齢者がいきいきと語っている。際どいテーマなのだが、話が盛り上がって時間が足りない。そして、多くの方が満足顔でいたこと。納得できる回答を得られたというより、僧侶たちとオープンに話せて得心がいったということか、つくづく「相談と対話」の場の必要を感じる。同時に、議論を閉じないために、アウェーであること、超宗派であることも必要な条件だろう。

「理解」と「了解」は似ているが同じではない。理解はテキストと納得できる解があれば可能だが、了解は、事情を鑑みて受け入れるということ。戒名とは、そんな対話や相談から育まれる了解の行方にあると思う。