NHKの朝の連続テレビ小説「あんぱん」が放送を終えました。アンパンマンの生みの親である漫画家・やなせたかしさんの生涯を描いた作品でした。
アンパンマンといえば、困っている人の前に現れ、自らの顔をちぎって「僕の顔を食べて」と差し出す場面が有名です。なぜ彼は、自分を削ってまで他者を助けるのでしょうか。この問いには、深い仏教的な意味が込められています。
やなせさんは若い頃、戦争に従軍し、戦後の混乱の中で飢えに苦しむ人々を目の当たりにしました。戦場で命を奪い合う悲しみ、戦後の貧困と飢餓――そうした現実を通して、人間の弱さと苦しみを身をもって知りました。その体験から、「困っている人を放っておけない」という思いが心に根づき、アンパンマンというヒーローが生まれたのです。
アンパンマンの行為は、単なる善意ではありません。自らの身を削り、相手の苦しみを自らの痛みとして引き受ける姿勢は、まさに仏教で説かれる「慈悲」の実践です。「慈」とは、すべてのいのちに楽しみを与えること。「悲」とは、苦しむものを見て、その苦を取り除こうとする心。仏の慈悲は、上から施すのではなく、相手の痛みを共にする「同苦同悲」の心に支えられています。
やなせさんは語りました。
「ほんとうの正義には、かならず自分も深く傷つく」
これは仏さまの御心と同じです。真に他を思うとき、人は自らの安楽を手放し、共に涙するのです。
このアンパンマンの姿は、私たちの身近に立つ地蔵菩薩と重なります。お地蔵さまは路傍に立ち、苦しむ人を見守り、迷いの旅路に寄り添ってくださる存在です。目立たず、静かに、しかし確かに、すべてのいのちを慈しみ、抱きしめてくださる。アンパンマンもまた、街角や空の彼方から、困っている者のもとへ駆けつけ、痛みを分かち合います。現代における「地蔵菩薩の化身」と言えるでしょう。
仏教では「布施」を尊びます。布施とは、物を与えるだけではなく、言葉、思いやり、微笑み、祈りなど、心を分け合うすべての行いを指します。アンパンマンが自らを差し出す姿は、この布施の精神そのものです。与えることで減るのではなく、分かち合うことで、いのちはむしろ輝きを増すのです。
私たちもまた、日々の暮らしの中で、目の前の誰かに温かい言葉をかけ、心を寄せることができます。その一つひとつが、慈悲の実践であり、仏の道です。
アンパンマンの姿を通して、路傍に立つ地蔵菩薩のように、静かに寄り添う慈悲の心を思い出したいものです。苦しむ人のそばに立ち、共に悲しみ、共に歩む――そこに仏さまの光が宿っています。



