彼岸を想う。 現代人と供養のこころ。

(2025年09月03日 更新)

暑さはなかなか癒えませんが、お盆が終わると間もなく秋の彼岸がやってきます。この季節は、日本人がことさらにご先祖を想い、供養に心をこめる季節といえます。

科学的にいえば、供養に効果とか評価などというものは存在しません。供養しなかったから罰せられることもない。何ごとも縮小傾向にある世の中ですが、だから供養はやめておこうともなりません。どなたも「ちゃんとしたい」という思いを備えているのです。

供養とは、亡き人を偲び、感謝の心をもって祈ること。法事も、墓参り、塔婆も、お供えも、全てが供養と言えるのですが、なぜにそれほど日本人は熱心に行うのか。二つの理由があります。

一つは、亡き人や先祖に対する感謝や敬いです。特に、先祖供養とは、私たち自身のいのちの源を見つめ直す営みであり、連綿と続いてきた大きなつながりに生かされている気づきでもあります。私たちは決して一人で生きているのではないことに、深い安心と温かさを感じるのではないでしょうか。

もうひとつは供養を通して、仏様から振り向けられた功徳を、現実の生活や暮らしに活かしていくことです。例えば亡き人が示してくださった生き方やふるまい、言葉を思い返し、今の自分の生活実践に反映していくことなどがいえるでしょう。

「亡くなったお母さんがいつもご先祖を祀っていたように、私もお母さんに倣ってご供養したい」

檀家さんの中にも、そんなふうにおっしゃる息子・娘世代の方がたくさんいました。供養は感謝だけにとどまらず、その感謝を自分の行動や態度の変容へと実らせていくものでもあるのです。おかげに気づき、おかげに生きる、のです。

仏教には「知恩報徳(ちおんほうとく)」という言葉があります。受けた恩を知り、その恩に報いる徳をもって生きること。徳とは、私に言わせれば、生き方であり、他者への思いやりです。ご先祖様のご恩をいただいて、人間性が涵養され、品性が整っていくのです。

善悪の境が見えにくい、倫理なき時代となりました。供養とは、私たちに自省と成熟の大切な道標を示してくれています。