変わる若い世代のお墓意識。「わからない」から「なるほど」へ。

(2025年07月17日 更新)

先日、お墓をめぐる市民の集いに参加した折、40代くらいの若奥さんからびっくりするような発言がありました。

「私は長男の嫁ですが、家のお墓を頼んだよと義父母から言われています。でも、正直なところ、嫁ぎ先のお墓にお参りする意義がわからないんです」

菩提寺の住職には言えない、本音だったのでしょう。私のお寺の檀家さんにも、そう考える若い世代がいてもおかしくありません。
ある意識調査によると、若い世代のなかでは、「お墓は必要だ」は63%あるものの、「管理が大変」という否定的イメージが53%に上ります。また、最近は、「お墓参りの必要性を感じない」との回答も目立つようになりました。
もちろん「家族とのつながり」「ご先祖さまを供養したい」というプラスの回答もたくさんあるのですが、一昔前の当たり前が当たり前ではない、お墓意識の変化、家族観の変化を感じます。少子化や個人化、共同体の喪失など、いろいろ理由は並べられますが、それがどうあれ、私も、これまで通り、家としての先祖供養が連綿と続いていくようには思えないのです。

ネットを検索すれば「お墓」を巡る情報はごまんと出てきます。お墓参りの意義、も教えてくれるのですが、それは決して自分で経験して得られたものではありません。若奥さんの立場からすれば、嫁ぎ先のご先祖様はドライに言ってしまえば自分とは他人であって、生活感も家族意識も希薄なのかもしれません。嫁としての墓参りに実感を伴わないというのもわかる気がします。

大蓮寺では、四半世紀前に生前個人墓を建立しましたが、以来多種な永代供養墓を設けてきました。個人あるいは血縁でつながった小家族のお墓には、たくさんのご縁をいただいています。「安くて便利だから」ではなく、現代の家族と供養のあり方を考えれば、これが必要な選択だからではないでしょうか。
今は過去なかったほどの多死社会を迎えています。多くの死別があり、誰もが「遺族」になるのであって、身近な人の供養や追慕のためのお墓を「必要ない」と答える人はありません。求められているのは、そうした現代人の考え方を受け入れることのできるお墓のあり方なのかと思います。
もちろん檀家さんは何よりも大切なご縁です。檀家さんとして受け継がれていくものは尊いものです。しかし、家や継承があって当たり前ではない、お墓意識やお墓像にあり方についても模索が必要なのではないでしょうか。

前出の意識調査では、「お寺との付き合いがわからない」との回答もたくさんありました。
わからないから面倒であり、やがて無用なものとなります。継承がないのだから、それはそうでしょう。お寺の存在感も問われます。私たちも、原点に戻って、若い世代の皆さんと語り合う機会がもっとあっていいと思います。

もうすぐ国民的な御霊祭りであるお盆。いろいろな風習や文化を通じて、「わからない」から「なるほど」と実感していただく、貴重な体験の季節にしたいと思うのです。