元祖・樹木葬の願い。お墓と地域再生。

(2025年03月24日 更新)

今や、希望するお墓のシェアの約半分が樹木葬だそうです。家のお墓は2割少しでお墓の「構造転換」が起きています。
樹木葬といっても特に定義があるわけでもなく、ガーデニングとか桜の樹の下で眠るとか、いろいろです。はっきりいって玉石混交で、商売優先の「樹木葬もどき」が多いように思います。
「もどき」というのは、樹木葬には原点があるからです。
その嚆矢は1999年岩手県一関市に開かれた祥雲寺のそれです。森林全体を墳墓と見立て、墓碑も骨壷も用いず、代わりに花木を植栽したのが始まります。まさに「自然に還る」の画期でありました。
実は、その始まりには訳がありました。幸いにも私は2000年に現地を訪れており、千坂嵃峰住職(当時)から、これが里山再生を目的とした自然環境整備を目的としていることを伺った。自然破壊が進む過疎地において、自然を守り、再生していく運動に参加してもらうことを主旨として、樹木葬は始まったのです。その高い理念と実践に胸打たれたことを覚えています。

乱立する「樹木葬もどき」に意見する立場にありません。しかし、元祖・樹木葬からわれわれが学ぶものは何でしょうか。あるシンポジウムで千坂師はこう述べています。
「僧侶は寺のことばかり考えていてはいけない。地域とともにあるのだから、寺の外に出て、地域をよく知ることからはじめるべき」
師のおっしゃる「地域」とは、自然破壊が進む地元の「地域問題」でもあったのだろうが、お墓の形態や周囲の環境はどこでも同じ条件が揃うわけではありません。「地域」という言葉を私なりに拡大解釈すれば、いただいたご縁をどう社会に還元し、それを循環させて行くのか、というエコシステムをいうのではないでしょうか。
元祖・樹木葬は、お墓の使用料や管理費を「(継続されている地元の)自然再生活動への参加貢献費」として受納しているといいますが、寺院によってその「浄財」の活用(ファンドマネジメント)についてはいろいろあっていいでしょう。全国のお寺で、環境保護を初め多様な実践が進んでいます。大蓮寺の場合も然りです。

樹木葬や永代供養墓を手がけるお寺が多くなりました。やり方はそれぞれですが、「お墓が売れたら成功」なのではない。お墓づくりはお寺をハブとした関係づくりであり、まちづくりです。お墓を通して新たな「地域」の出会いや創造があるはずです。僧侶は、単なる墓地管理者で止まるのではなく、地域をひらく存在として可能性を見出していってほしい、と思うのです。

(上記は、「葬送文化26号」(25年3月10日発行)を参考(引用元)としました)