戦後80年。敵意なき慈しみを行うべし。

(2025年06月23日 更新)

私が子どもだった頃、まだ檀家さんのお仏壇や鴨居には、しばしば軍服姿の英霊の像を見かけることがありました。戦争からの復員された方からお話をお聞きした記憶もあります。

大蓮寺では市内最大級といわれた梵鐘が、金属回収令によって供出されました。大蓮寺は構えも大きく戦中は一時軍隊の駐屯地になったという記録もあります。また私の叔父と祖母が、3月14日の大阪大空襲で犠牲となっています。当時はどこにでもある話でしょうが、それぞれの戦争体験があったのです。

今や戦後生まれが人口の85%を超えており、「戦争を知らない子どもたち」と言われた70年代以降生まれが半分となっています。仏壇から英霊の写真も消えました。今や戦争の記憶は急速に衰えつつあるのです。

いっそ戦争がなくなればいいのに、今なお世界の各地で戦争・紛争は多発しています。悲惨な映像が連日報道されていますが、日本人にはどこか遠い国での出来事のように映っていないでしょうか。世界がこれほど狭くなっているのに、自分も戦争の「当事者」の一人であることを忘れているのです。

戦後80年の今年、戦没者を追悼することは当然のことですが、今一度平和である意味を噛み締め、そのために何ができるか思いを馳せてはいかがでしょうか。「世界平和」的なスローガンよりも、まず個人がどう身近な平和と向き合い、よりよい社会のためにどんな貢献ができるか、問い直す大切な機会にしたいと思います。

釈迦は古い経典の中でこう述べています。

「また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし」

限りなく道は遠いが、努めてまいりましょう。