6月3日のNHK「あさイチ」はお葬式特集でした。去年のお墓に比べて、抑制の効いた内容だったと感じました。葬儀は、宗教者のコミットがより濃厚だからでしょうか。
意外な場面がありまた。派遣僧侶(サービス)紹介のコーナーになって、司会者が全日本仏教会のコメントを字幕付きで読み上げたのです。
お寺が地域社会と結びつき、福祉増進のために活動し、また震災の折の避難所など社会貢献が活発であるとし、こう続けています。
「お布施を支払うことは、現在苦難の中にある人への支援にさらに災害で困った自分や誰かの支援につながるでしょう。そのようにお布施を施した人と人とのつながりというものを、大きく長い目線で見ていただけたら大変嬉しく思います」
そしてその負託を受けた私たちは(僧侶は)葬儀や仏事に精励していかねばならない、と結んでいました。
両論併記がジャーナリズムの基本だし、この声明に対しスタジオのコメントはありませんでしたが、(これまでの声明の発表があったのかは知らないが)好印象を受けました。「抗議声明」ではなく「理解のお願い」となっていたからです。 NHKからお伺いをたてなのか、全仏から要請があったのか知らないが、いずれにしてもどちらも「フェア」な妥協点を見出したのだと思います。
しかし、この文脈をよく読めば、布施は「社会貢献」とセットで論じられていますが、それだけではない。菩提を弔う、先祖を祀る、行事ごとの供養を勤めるといった日常の宗教活動も、また「社会貢献」と認知されていかなくてはならない、と思います。社会貢献は、お布施批判のエクスキューズではなく、「平生の宗教活動の延長線上になくてはならないとも思います。
数日前、老親を失った喪家から電話がありまた。正月とお盆のお参だけだが、何十年もつきあいのある檀家さんです。
言いにくそうに、「お葬式には必ず住職さんに来てもらわなくてはいけないのか」とおっしゃる。真意を尋ねると、ネットで見つけた葬儀社が「僧侶が来るなら祭壇の金額が上がる」と吊り上げてくるらしい。噴飯物だが、この手の話は枚挙にいとまがありません。
私が介入して、近隣の良心的な地元葬儀社にリレーしてことなきを得たのですが、これもまた「平生の宗教活動(おつきあい)の延長線上」の結果と言えないでしょうか。「来なくていい」と断るはずのお寺に相談してくるのは、判断も含めお寺に頼っているからでしょう。
困った時に、菩提寺に相談できるか、檀信徒がSOSをかけてくるか、これが寺檀の信頼関係のバロメーターであると思います。
ちなみにこのぼったくりの葬儀社は、テレビでバンバン宣伝をやっているRKO社です。過去にも同様のケースがありました。十分注意してください。