「法事初心者」。 自ら苦心するプロセスこそ。

(2026年05月13日 更新)

ある仏教関連団体の「法事離れ」実態調査に、興味深いデータがありました。これからの法事の担い手について、一参列者として参加するよりも、一度でも「施主」として法事を差配する経験をすることで、供養に対する認識や価値観が向上するというのです。確かに、親世代を送った息子・娘が初めて施主を務める場面は、お寺にとっても大事な機会です。

さらに、こんな指摘もありました。「特に40代までの若い世代において、施主を経験した人は、宗教的な価値を他の世代よりも重視する傾向がある」。世間で言われるような「仏教離れ」「法事離れ」とはいささかニュアンスが異なります。

実は、私には少し違った印象があります。長年、お寺でご供養を勤めていますが、施主の若返りは実感すれど、だからといって「仏事が疎かになる」といったことはあまり経験がありません。コロナの影響もあって、いろんな仏事が簡略化される傾向は否めませんが、そのことと供養の心は別ものです。むしろ、お寺の作法に詳しくない「法事初心者」ともいえる方々が、謙虚に「何も知らないので教えてほしい」と仰り、誠実に故人と向き合おうとされる姿を多く目にします。

お葬式はどうしても時間に追われる側面がありますが、その後の四十九日や年回法要といった法事は、時間をかけてゆっくりととりすすめていくものです。特に馴染みのあるお寺の空間で、お経の響きに包まれながら、静かに故人を偲ぶ。そこには、業者先行で進んだお葬式とは異なる、手作りの、家族が中心のしめやかで豊かな時間が流れています。

また、上記調査では「法事継続の阻害要因」も紹介がありました。「仏教のしきたり(お布施の金額含む)がわからない」「参加者との日程調整」「参列者への気遣い・接待」などが法事を務めることをためらわせるというのですが、これも考えようではないでしょうか。施主として法事を差配するには、何かと苦労が伴いますが、しかしその「自ら苦心するプロセス」こそが、実は理屈を超えて供養の意味を心に刻み込んでいくのではないでしょうか。お寺もそのよき伴走者でありたいと思います。

法事は、お寺と檀信徒の皆様を結ぶ、いわば「生命線」です。この大切な時間を絶やすことなく、いかに次世代へ繋いでいくか。若い方々が戸惑いながらも一生懸命に供養を継承してくれている光景は、私にとって何よりの励みであり、当山の宝物です。

「わからない」からこそ、立ち止まり、共に手を合わせる。「法事初心者」の謙虚な祈りの心こそが、故人への何よりの供養になると思うのです。