相手の心の暗い所へ降りていく

(2014年03月08日 更新)

 ノンフィクションが好きだ。今年は立て続けに6冊読んだ(私に少し心のゆとりがあるのかもしれないが)。佐々木涼子「エンゼルフライト」、佐藤優「先生と私」、マリーナ・チャップマン「失われた名前」、堀川惠子「教誨師」、春日太一の「あかんやつら」…どれも一気読みだった。
 で、ずっと積ん読だった最相葉月の「セラピスト」を読んだのだが、予想しがちな魂の回復のドラマ、みたいな内容ではなかった。河合隼雄と中井英夫という巨人ふたりを引用しているが、その周辺の人々による日本の心理療法導入の物語が描かれる。西洋で生まれたカウンセリングが、言語観の異なる日本でいかに変形し、定着していったのか、日本人の特異を考える意味で興味深かった(應典院で箱庭療法を指導していただいている村山實先生も登場される)。
 いくつも印象的なフレーズが現れる。いずれも日本を代表するセラピストたちの言葉だ。

 「言葉はどうしても建前に傾きがちですよね。善悪とか正誤とか、因果関係の是非を問おうとする。(絵画療法における)絵は因果から解放してくれます。メタファー、比喩が使える。それは面接の時クライアントの中で自然に生まれるものです。絵はクライアントのメッセージなのです」(中井英夫)
 「言葉だけでは表現できないものがあった場合、言葉にしてしまうことで削ぎ落とされてしまう。言葉にもののほうが大事かもしれないのに、言葉になったことだけが注目されて、あとは置き去りにされてしまう」(木村晴子) 
 「言葉というものは、自ずからその段階に達すれば出てくるものなんです。引き出されるものではなくてね。五歳くらいまで一言も話さない子どもたちはよくいます。それは、言葉以前のものが満たされていないのに、言葉だけしゃべらせてもダメという意味です。言葉は無理矢理引き出したり、訓練したりする必要はなくて、それ以前のものが満たされたら自然にほとばしります」(山中康裕)
 「箱庭療法はやりにくくなっています。箱庭や絵画のようなイメージの世界に遊ぶ能力が低下しているというのでしょうか、イメージで表現する力は人に備わっているはずですが、想像力が貧しくなったのか、イメージが漠然としてはっきりしない。内面を表現する力が確実に落ちているように思います…主体的に悩めないのです」(高石恭子)

 それにしても、ラスト近くに河合俊雄の「十年サイクルで心理的な症状が変化している」という指摘に驚く。かつては対人恐怖症、引きこもり、それから境界例、解離性障害と症状は変相をくり返し、今世紀に入って発達障害が顕著だというのだ。
 「発達障害だってそろそろ時代遅れになるかもしれない」河合は言う。
 では、つぎに何が流行するのか。と最相の問いにこう答えるのだ。
 「いや、それはまだわからない。だいたいあとになってわかるんです。それをいち早く捉えるのがわれわれセラピストの仕事ともいえますが」
 河合の父、河合隼雄は「(セラピストは)クライアントと向き合い、相手の心の暗い場所へ降りていく」と述べた。その凄絶ぶりに、心理職の業のようなものを感じる。