浄土宗は御朱印をしない? 現世利益とお念仏。

(2019年08月27日 更新)

最近令和人気にあやかってか、御朱印がブームとか。当山のような一般寺院でも御朱印帳を持って来られる方があります。当山は祈願寺ではないので、印刷したものを無料でお渡しすることにしているのですが、いかにも愛想がない、と思われているかもしれません。それには訳があるのです。

そもそも浄土宗の本義は、「浄土」と呼ばれる仏の国へ往き、そこに新たな命を得ることを願うことであって、逆にいうと「必勝祈願」「病気平癒」「交通安全」など、現世における利益を重視していません。それらは「浄土」に対する「穢土」(けがれの世界)の諸問題であり、そのことよりもただ往生を願って「念じる」「念仏申す」ことを最優先しているからです。

亡くなった先代は「本当に知的な信心は、この世の利益など求めない」とよく言っておりました。

そうはいっても、何かにすがりたい、奇瑞を見たいと願うのも人の常。決して現世利益を頭ごなしに否定するものでもありません。それがお念仏の契機となって結果的に往生を願うのであれば、これも立派なご縁でしょう。

「ただ念仏ばかりこそ、現当の祈祷とはなり候え」(お念仏の行だけが現世を幸せに過ごし、来世に浄土往生を遂げる祈りになる)と法然上人のお言葉にあるように、お念仏の功徳により現世の悩みを除き、安心して過ごすことができます。浄土宗の利益とは直接のものでなく、「不求自得(ふぐじとく)」、求めずして自ずから得られるものでしょう。

次項の通り、当山初めての「智慧のお守り」を作製しました。み仏の智慧にあやかってお念仏を勧める、あるいは促されるそういうしるしとしてお使いいただければと念じています。