浄土宗がつくったエンディングノート

(2014年06月29日 更新)

浄土宗がつくったエンディングノート 過去、僧侶有志が作ったエンディングノートはあったが、伝統教団として刊行したものは初めてではないか。浄土宗(総合研究所)が、今月発行した「縁の手帖」だ。

 教団は、これをエンディングノートとは称していない。「浄土宗の教えを活かした教化ツール」と位置づけるが、体裁や構成は既存のものを意識している。介護、医療、財産などカバーしているが、「お墓」「葬儀」のコーナーになると、当然ながら浄土宗としての見解が明確に打ち出される。「お布施は…本来金額を提示できる性質のものではありません。商用サービスに対する対価とは異なることをご理解ください」など、コラムの端々に浄土宗からのメッセージが汲み取れる。「お墓」「葬儀」は要不要、から始まったエンディングノートとは本質的に違う。

 研究所から、末寺住職にあてられた書状に思いが綴られている。

 「この手帖は個人の意思による選択ばかりを強調してきた、これまでの一般的なエンディングノートではなく、この人生における生老病死については、「個」ではなく「つながり」の中で取り組んでいくのが大切であるということが伝わるように編集しました」

 至極まっとうな考え方が、昨今の終活現象からは排除される。エンディングノートに、死生観を問うコーナーはない。

 「法事の記録」には、初七日から三十三回忌まで日程を記入するようになっており、コラムにはこう書かれている。

 「…さまざまな縁があるのは亡き方も同じです。ご縁のある人々が相集まって語り合うならば、姿形は見えなくてとも、そこに亡き方の『今』が織り成されます。亡き方の今を思う。それは別離の悲しみを、出会えたことことへの喜びに変えていく営みとなります…」

 現代人に訴えるテキストだと思う。

 「菩提寺って?」というコラムがあった。菩提寺にどんなことでも相談してほしい、菩提寺は檀信徒との信頼関係をもとに「皆様に寄り添う存在」だと強調している。

 「万が一の場合に備え、介護、医療、葬儀などについての考えを家族や周囲の方々と共有し、菩提寺も共にこれからの生き方を考え、今を安らかなこころで過ごしていけるように共に歩んでまいります」

 この手帖は、明らかに住職と檀信徒の位置関係を変える。これまでの因襲主義も上から目線も通じない。真摯に語りかけ、ともに考え、歩む僧侶像を引き出そうとしているのだ。

 住職向けの手引き「記載の注意点」にはこうある。

 「記述を(檀信徒が)進めるにあたって、思いがけない反応や答えが返ってくる場合もあります。…(サポート者自身の)価値観を押し付けたり、記述者の考えの変更を迫ったりするのは慎みましょう。記述者の思いをそのまま受け止めることが、記述者との信頼関係の構築には必要なのです」

 それを教化の深化とするか、あるいは矛盾とするか。「手帖」の作り手たちからの、浄土宗寺院への切なる呼びかけといってもいい。

 製作スタッフには、研究所の若い優秀な人材が集結している。喧々囂々議論があったことだろう。何度も上からダメだしがあったのではないか。しかし、記述者からの相談への個々の対応まで受けようとするその姿勢に感銘をおぼえる。ありがとうございました。