布教しない。けれどそこにいる宗教者とは

(2014年01月23日 更新)

 「臨床哲学」という言葉にふれたとき、新鮮さを感じた。哲学という一見、個人の内面に閉ざされたものを臨床に開くのだ。そんな感銘をおぼえた。
 臨床とは「現場」であり、「公共世界」とも訳される。哲学なんて無関心、無関係な人たちに、社会や生活の知恵として届け直す。應典院で第1回の臨床哲学カフェ(大阪大学)がスタートしたのは、2000年のことだが、それに刺激されて「臨床仏教」とか叫んでいた記憶がある。
 東北大学に「実践宗教学寄付講座/臨床宗教師研修」が開講されたのは、2012年4月のこと。軽い衝撃をおぼえた。佛教大学や龍谷大学なら不思議でないが、税金で運営される国立大学が実践的な宗教者養成に取りかかる。にわかには理解しがたいことでもあった。
 詳細の経緯は省くが、その発祥が3.11を原点にしていることは容易に推察できる。被災地には確かに「宗教的ニーズ」があったのだ。いや、夥しい死者が出たから、弔いや供養にニーズがあったのだと言いたいのではない。そういった儀礼や作法の向こう側にあるものが、震災によって浮き彫りにされたというべきだろう。
 「医者とパートナーシップを組んで現場に入れるだけの公共性をもった、〈闇に降りていくための道しるべ〉を示す役割を担う専門職が必要だ」
 臨床宗教を提唱したひとり、故・岡部健医師の言葉が胸に刺さる。
 岡部の言う「公共性」とは何だろう。臨床宗教師は「公共的空間において人々の心のケアにあたる宗教的専門職」を指すが、そこでの「公共」とはつまり特定の信心・信仰を超えるという意味だ。端的に言えば、「布教しない」。だがなお宗教者でありつづけることができるのか、という問いだとも思う。
 被災地ではそれを試される場面が数多くあったのだろう。救われたい人はたくさんいた。だが、それを布教に結びつければ衝突が起こる。信仰も価値観も違う相手にどう寄り添えばいいのか。恐らくは被災地の宗教者たちの戸惑いや葛藤がそこにはあったのだろう。その経験の深さや呻きから絞り出されたのが、臨床宗教師なのだと思う。
 ふと思い出すことがある。私のささやかな体験だ。自死遺族の会に出た時、息子を失った母親からこう言われたのだ。
 「お坊さんは黙ってそこに座っているだけでいい。私はそれだけで救われる」
 遺族の輪の中で、なす術もなく小さくなっていた私を、救ってくれるような一言でもあった。
 布教しない。けれどそこにいつづける。「そこ」とはどこか。「いる」とは何か。應典院という現場(臨床)で、つねにそのことを考え続けている。

 1月15日、東北大学から高橋原准教授を招いて、お寺MEETINGを開催した。写真はその時のもの。新しい宗教学の可能性を感じた。
 戦前は国策としての宗教学研究、戦後は文化としての研究があったが、震災以後、宗教の公共性、社会資源としての宗教研究が立ち上がっているという。そこが興味深かった。
 同じ壇上に、「いのち臨床佛教者の会」の西岡秀爾さんが並んだ。30代の彼は活動者でもあると同時に、東方学院の講師でもある。学究と臨床を行き交いながら、現代の宗教者のポジションをつくりだそうとしている。それが、たいそう私には、頼もしく思えた。