小さな劇場とコミュニティ

(2014年06月09日 更新)

小さな劇場とコミュニティ 「コミュニティデザイン」がちょっとした流行である。「これからのお寺のコミュニティデザイン」という研修会だってあるらしい。意味は「人のつながりの仕組みづくり」を言うらしいが、人によって、受け止め方や理解の仕方もそれぞれだ。ま、ガチガチに定義で縛ってしまうより、ゆるーく余白があったほうが楽しいのかもしれない。

 應典院が97年にスタートした頃から、コミュニティという言葉はかなり多義的な含みを持ち始めた。それまでは「家族コミュニティ」とか「地域コミュニティ」というふうに既存の共同体とほぼ同じ中身を表したが、それらが後退して、代わってそれまでにないコミュニティが登場しはじめた。NPOとかアートが市民の用語として普及しはじめる頃と軌を一にしている。市民活動や演劇や現代アートを、コミュニティの縁にしていこうという試みだ。

 今日、應典院で演劇祭の10年目のアフタートークがあった。若手支援の演劇祭として、現在のspace&dramaの形態になったのが2003年、結成間もない(つまり才能も将来性も未知数の)劇団を公募して、毎年連続上演と優秀劇団の選定をしてきた。11年も経れば、当時旗揚げの劇団も立派な中堅劇団に育ち、有名な戯曲賞を受賞した作家も生まれた。今回は、2003年からの優秀劇団が一堂に会して、11年ぶりに「これまでとこれから」を語り合ったのだ。

 同年に参加した同期の劇団もあれば、先輩劇団、後輩劇団という世代も生まれる。世代の違いは、自分の今の立ち位置を図る大切な参照点になるし、若い劇団には憧れにも励みにもなるだろう。劇団など小さな無名の同好会に過ぎない。それを演劇祭という公的なエンジンを共有して、一緒に議論したり、広報をしたり(この演劇祭参加の劇団は月1回の制作会議参加が義務づけられている)駆動させながら、社会という公道に乗り出して行くのだ。そこで初めて他の劇団に学んだ、という若者も多い。たぶん、それがつながりをカタチにしていく、というコミュニティデザインの第一歩なのだろう。

 演劇というアートは、文学や小説と違って、一人ではできない。集団による表現とは、つまり創造プロセスそのものがコミュンケーションで成り立つということだ。戯曲作家家がいて、演出家がいて、主役の役者がいて、音響や照明がある。そういう専門性を分担しながら、いわば「舞台」というコミュニティをつくりあげるのである。

 舞台は、おおむね閉ざされた所である。異物や雑音は遮断されるが、だから社会や地域の存在とも無関係であってはいけない。若い劇団ほど孤立しがちだし、別の言い方をすれば己の才能に溺れがちでもある。それを相対化したり、客観化したり、いい意味で批判しあうような、そういう「演劇祭」もまたコミュニティなのだ。

 ここで言うコミュニティデザインには、「舞台」という内に連帯する親密さと、「演劇祭」という外に開いた社会性と、その二軸が欠かせないのだと思う。

 むろん、舞台も演劇祭もオーディエンスなくして成り立たない。ハリウッド映画やAKBと違うものを探して、彼らは劇場にやってくる。共感者ゆえか、同世代ゆえか、あるいは友だちゆえか。いずれにしても単なるお客さんである前に、観客はコミュニティの一員としてここに参加する仲間でもあるのだ。

 ともあれこんな場が、10年続いたことは僥倖といっていい。10年、この場を支えてくれた西島さん、山口さん、森山さん、ありがとう。