孤立時代にご縁を紡ぐ。おてらの終活、新年へ!

(2018年12月25日 更新)

政令都市における無縁仏は、大阪市が全国一である。信じがたい数字だが、9人に一人の割合で身元がわからない、あるいは親族が引き取りの拒否をする。行き場を失ったお骨は、しばらくは斎場のロッカーで眠り、その後阿倍野の公営墓場にて合祀される。自治体によってお骨の行方は様々で、中には産廃物同様の扱いもあるらしい。
身寄りのないお骨も不幸だが、身寄りがあっても路頭に迷うお骨が私にはもっと不憫に思える。お金がない、というより、生前の関係性がない、ご縁がないのである。

内閣府の調査によれば、単身高齢者の男性の会話の頻度は、(電話や電子メールも含め)1週間に1回あるかないかが10人に1人、「困った時に頼れる人がいない」のは5人に1人だという。世間と没交渉であれば、当然孤独死リスクは高まる。大阪市の単身高齢者は全国一だが、ほぼ並行して孤立率?も高いに違いない。無縁仏はますます増えていく。

どうすればいいか、解決策は見当たらない。そもそも福祉も法律も、死者を対象にできていない。⽣活保護法や⾏旅病⼈及⾏旅死亡⼈取扱法による措置は一部のことであって、大阪市のように、身元もはっきりしている、葬式のお金もあるが、死後を託す者が不在というケースは、これまで想定されてこなかった。
あるいはなんとかしてやりたいと思う親族がいたとしよう。しかし、死後の実務はわからないことだらけだ。まずお骨の納めどころが最重要だが、亡くなった後のご遺体の安置から、葬儀やら火葬場の手続き、そこに宗教者が絡むなど、葬送にまつわる大量の責務に立ちすくむ。親族といえど、普段の関係性なくては、二の足を踏むのはわかるような気がする。
役所に葬送相談センターのようなところがあってもいいはずなのだが、介護福祉はあってもお墓や葬式のことになると、公は踏み込めない。多死と孤立の現状に、法も制度もついていけていない。民間の終活ビジネスは専門分担化されていて、なかなかトータルに対応できない。

お寺の出番ではないか、と思う。その強みは、仕事の最大の課題である「埋葬」を受け持つことができる点だ。新たな受け皿として永代供養墓のデザインの知恵を絞ろう。お葬式も福祉として考えれば、葬儀社と協働して適切なパッケージが可能だろう。
あるいは機能を付け加えて、開かれた葬送情報センターのような拠点も必要ではないか。
終活セミナーは多いが、相談できる窓口が必要だ。そこには信頼できる相談員がいて、必要があれば「生前契約」にも対応する。自分の死後について率直に話ができるのも、お寺ならではの特性ではないか。
無縁仏の背景には、関係の喪失や不安が大きく横たわっているが、そんな信頼関係が生まれれば少しずつ軽減できるかもしれない。役所任せではなく、市民の力で賦活させる。ご縁を紡ぐのである。

大蓮寺と應典院のおてら終活プロジェクトは、いよいよ年明けから第2フェーズ、「ともいき堂」再建工事に入る。詳細は改めるが、工事資金の一部をクラウド・ファンディングで寄付を募る計画だ。並行して、この界隈のネットワークを広げるべく「地回り」も始める。地域の拠点やキーパーソンと顔の見える関係を紡いでいく。終活と社会貢献研究会も2月には立ち上げる予定だ。4月花祭りのころ、おそらく全貌が見えることだろう。「まち寺」の本領発揮といきたいものである。