子育て中だから、フィクションに浸ってみる。

(2013年11月03日 更新)

美しいエッセイを読んだ。今日(1103)の日経朝刊に、作家の窪美澄さんが「子育て中こそ読書をしよう」を書いている。
男の、しかも幼稚園の園長なんて専門家は、おそらく子育て中の母親の悩みがいちばんわかっていない人種のひとつかもしれないと思う。「子育てはそんなもの」「みんな同じように苦労している」「あなたのお母さんもそうだった」……それは正しいかもしれないが、子育てに悩む母親の気持ちを軽くするものではない。いや、たぶん子育てのアドバイスなんて類いのものすべてが、結局正論の押しつけなのだ。

窪さんは「子育てがつらいときは、小説を読んでみるのもいい」と書いている。ひとり息子を育て上げた自身の体験がベースにあるのだろう。心に迫る。

「小さな子どもを育てているときほど、物を近視眼的に見がちだし、見ている世界は狭くなりやすい。それは子どもの安全を守る、という意味で必要なことなのだろうけれど、そういうときこそ心を遠くに飛ばしてくれる何かが必要だ」
「どういう魔法が起こるかわからないけれど、小説で架空の誰かの感情を体験することで、自分のどこかが、ほんのかすかに軽くなることは確かにあるのだ」
「小説に限ったことではないが、人間の心にはなぜだかフィクションだけしか届かない場所があって、フィクションでしか癒せない部分があるような気がしている」

電車の中で本を読む人の姿を見かけなくなった。多くは寸暇を惜しむように携帯をいじっているし、テレビの話題はしっかりキープしている。でも、本は、小説は、たぶん、だんだん遠ざけられている。「フィクションでしか届かない場所」がどんどん縮んでいると思う。
窪さんはいう。
「子どもが食べ散らかしたご飯を這いつくばって拾い、服に乾いてかぴかぴになったご飯粒がついていても、フィクションの世界にいるときは大富豪にも、殺人犯にも、高校生にもなれるのだ」

フィクションに逃げる、という言い方もできるが、いや、フィクションを基準に、目の前のリアルとの折り合いをつけることとも言えるだろう。やはり、子育てはあなたが織り成す心の情景なのだ、と思う。

それにしても、と思う。シンプルな言葉で、こういう心を揺さぶる文章をいかにして書けるのか。自分の力量を思い知って、少々かなしくなった。