大津の園児交通事故に思うこと。いのちへの畏敬の念。

(2019年05月13日 更新)
 連休明けに、大津市で痛ましい交通事故が発生しました。いたいけな2歳の保育園児が散歩中に犠牲になったことに、国中が悲嘆に暮れています。
 私も幼稚園を預かる一人として、とても人ごとに思えません。遠足やお出かけの際に、すべての教職員が神経を使いますが、それでも事故が100%避けられる保証はありません。今回の事故も、車が接触して僅か1秒以内の出来事だったとか。冷酷な言い方かもしれませんが、それはこの世に無常と等しいのです。
ふと考えてみるのですが、私たちが今日こうして無事にあることは当たり前のことでしょうか。事故にせよ病にせよ、遭わないという確率と遭うという確率は数値上は平等であり、今回それが園児たちであったことの不運はありますが、代わりが私であってもあなたであっても何ら不思議はないのです。
 事故は一瞬の出来事です。完全には無理でも、それを避ける態勢や感度は、ただ「安全対策」を凝らすだけでなく、事故の怖れを自覚した上で、日々の心構えを備えることではないでしょうか。つまり、「今日一日無事であったことのおかげ」に感謝することであり、「明日もそのように見守ってほしい」と願う、そういう謙虚さではないかと思います。
 それは、念仏者が今日一日を生かされたことを感謝する、「日々是臨終なり」という安心(ルビ=あんじん)の境地と同じといえましょう。
 いえ、それは子どもを守る教職員や両親だけでなく、地域の未来に対する、すべての大人の責務です。あるいは、子どもだけでなく、高齢者や障がい者すべての弱者に対して、施される「いのちへの畏敬の念」かと思うのです。