家族の姿が大きく変わってきました。 サザエさん のような昭和の典型家族は見られなくなり、単身あり非婚あり同性婚あり、実に様々です。その背景も少子化、高齢化、女性の社会進出、プライバシーの尊重など複雑化しており、これが標準、という形が成り立 たないのが現状でしょう。
家族の姿が変われば、当然お墓のカタチも変わり ます。 当山でも扱っていますが、 永代供養墓、 納骨堂、 樹木葬等々、選択肢が増えました。 家族代々維持するよりも、自分一人や夫婦だけのお墓を一時的でも確保できればいいと考える方も少なくなくなりました。それを奇異に感じる方もあるかもしれませんが、現在の先祖代々の家族墓が一般化したのは明治期以降のことで、江戸時代までは墓所を持つのは一部の特権階級でそれも個人墓でした。 長いスパンで見れば、お墓のあり方が変わるのも当然なのでしょう。
姿形が変わっても、変わらないものは先祖や故人を拝む供養の心です。 宗教的な信仰がないとしても、亡くなった父母への感謝の気持ちでお参りしたいと いうのは当然のことでしょう。 お盆お彼岸、 ご法事も、それを通して追慕と敬愛の念を届けたいからです。
家族の姿がどんなに変わろうと、亡き人への感謝からそうした「宗教的な」行動に駆り立てるのは古来より何も変わっていません。 宗教は理解したり、論じるというより、感謝の行為が育むものであって、それが家族のつながりや絆を深めてくれるのです。お彼岸になると、当山の墓域は新しい供花の色で埋め尽くされます。 家族墓も永代供養墓も納骨堂も何の違いもありません。 どんなに社会が変わっても、感謝の念という美徳は失われることはない。不易と流行を感じるのです。