仏教シネマレビュー「ペコロスの母に会いに行く」

(2013年11月23日 更新)

映画館は中高年で一杯だった。場内は笑い声が絶えない。後半はしーんと静まり返り、エンドタイトルが終わると、そろって目頭を押さえている。映画「ペコロスの母に会いに行く」を観ていて、ふと昭和の幸福な映画体験を思い出した。同名のエッセー漫画が原作。今年の日本映画の収穫である。

 「介護喜劇映画」とは言い得て妙である。認知症を抱えた家族を描いているが、深刻なところは微塵もない。ボケはじめた母親と、五十を超えた息子、そしてやさしい孫の三人暮らし。家族は母親の言動にふりまわされる日々なのだが、どれもおかしくて愛しい。「ボケるのも悪かことばかりじゃなかかもしれん」と息子は思うのだが、症状は進みやがて母親を施設に預けなくてはならなくなる……。
 映画は、現在と過去が交錯する構成だ。母親の人生の記憶が蘇って、少女時代から結婚生活までが随所に織り込まれる。神経症で酒乱だった夫や遊郭の女となったかつての親友。原爆のきのこ雲。認知症の人にとって、真実とは目の前の現在なのか、それとも追憶の過去なのか。
 「死んでからのほうが、うちによう会いにくる」。死者が画面に現れて、やさしく、また美しく母の人生を縁取っていくのだ。ラストの死者との再会シーンは、感極まる。

 そして、改めて血縁の情の確かさを思わずにはいられない。親子であるという断ち難き絆によって、私たちは怒りも嘆きもするが、それでもすべてを赦し、受け入れていくのだ。「そして、父になる」「四十九日のレシピ」など、気鋭の映画作家たちが「血縁を超えたつながり」を訴えたのに対し、85歳の老監督森崎東が、「それでも血はしぶとい」と諭している。私にはそう思えた。
 オール長崎ロケ、オール長崎弁。日本人の明るい死生観のようなものが、風土の中ににじみ出る。これは東京では撮れない、絶対。二〇一三年、日本映画。

ペコロスの母に会いに行く@ぴあ映画生活