仏教シネマレビュー「そして父になる」

(2013年10月26日 更新)

話題の映画「そして父になる」について既成仏教の観点から中外日報に書きました。ちょっと無理してる感があるかな。
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今年のカンヌ映画祭で審査員賞を受賞した傑作である。家の制度を長く基盤としてきた、既成仏教にとって次なる視座を予感させる。

エリートサラリーマン一家と街の電器屋一家。出会うはずのない二つの家族が、6歳の子どもの取り違え事件を発端に、思いかけず接触を始めることになる。選ぶのは産みの子か、育ての子か。病院側はこういうケースでは、必ず血のつながりを取るので、早い決断を促す。困惑、落胆、憤り……2組の家族模様の落差の描き方が見事だ。
日本では里親制度は根付かない。また体外受精への依存度も高い。映画には取り違えた息子が不出来なのは、「やはり自分の子でなかったから」とエリートが秘かに了解する場面がある。われわれは血筋を優先する民族なのだ。

これまで既成仏教は血縁を根拠として、先祖供養のシステムを堅持してきた。やがて家の縮小が始まり、宗教の個人化が敷衍していくが、長く制度に寄りかかってきた宗教は多様化する個に対応しきれていない。
その一方で個を単位に、新たな共同体を生み出そうとする宗教者もいる。映画では血筋にこだわったエリートは左遷され、システムからこぼれ落ちていくのだが、その姿と、既成仏教の行方を重ねるのは、うがった見方だろうか。
是枝裕和監督は、震災後、家族の絆だけが強調されることに違和感を覚えたという。血以外の絆とは何か。この映画は、血縁を超えて、異なる個がつながりあえるのか、という今日的な問いを突きつけている。
電器屋の主人を演じたリリー・フランキーがすばらしい。一家が朝一番に仏壇にお参りをするシーンで、私は胸が熱くなった。日本映画。2013年。

そして父になる @ ぴあ映画生活