仏事コンサルタントと「説明能力」

(2014年08月18日 更新)

雨の多いお盆だった。台風の中の棚経なんて、記録ものだった。

お盆になると、テレビでお墓特番が組まれる。悪趣味なバラエティも見慣れてしまったが、ここ数年「お墓の引っ越し」(改葬)の話題はすっかり定番となった。田舎の墓を都会の墓地へ移転する際の手続きや諸費用が明らかにされるのだが、私の感覚では今年はそれに加わって「離檀料」の話題で盛り上がったように思う。実家の菩提寺に改葬の挨拶に行ったら、住職から離檀料として「1千万円」を要求されたとか……んー、とかく墓の問題はお金もかかれば道理も通らない、厄介事だと描かれるのである。

そういう番組を見ていて、改めて気づいたのだが、テレビに登場する女性「仏事コンサルタント」の多いこと。「葬送アドバイザー」とか「お墓コンシェルジェ」とか、新手のカタカナ職業が普及しつつある。
数年前までなら、井上治代さんとか小谷みどりさんらが識者としてコメントしたものだったが、今はもっと「消費者目線」で、生々しくならない程度にオブラートに包んで、口ぶりは控えめだが「最近の動向」という奴を滔々と述べる。資格もなければ見識もさほどなさそうなのだが、視聴者はそれで十分満足なのだろう。

以前であれば、仏事の相談ならまず菩提寺の住職に聞いてみるというのが、道理であった。地域や習慣、お寺によって決まり事は違ってくる。習わしとか伝統とか、そうやって継承されていくのだが、現代人にはそれが不合理なしがらみにしか見えない。
お寺は、何でも「こうしなさい」「こうするものだ」と上から目線だ。仏事コンサルタントは、情報も十分あって、最後は「あなたが決めればいい」と納得を担保してくれる。それが、お客さま感覚をくすぐるのだろう。

説明と納得があって、伝統が保たれるのではない。しかし、消費者の究極の選択は、「お墓っているの」というところに帰結する。伝統はそもそも不合理なものなのだ。だからといって、それをすべて因襲本意にしていていいものなのか。
仏事コンサルタントがどう答えるかも見物なのだが、それ以上に個々に事情に向き合った、お寺の説明能力が問われてくる。新しい言葉と新しい表現の創意が必要だと思う。

(付記)
8月1日放送「団塊スタイル:どうする?お墓」では、出演のアドバイザー女史が「(お墓は)地域やお寺や習慣によって違うので」「お寺さんに相談を」とコメントしていた。きちんとローカルを尊重した見識だと思うが、さて、相談を受けた住職がどこまで説明が尽くせるのだろうか。余計なことながら、そっちが少し不安になった。