ホームホスピスという家。最期の場所をめぐって。

(2016年08月10日 更新)

幼稚園の園長になる前、ホスピス関係者をヒアリングして回ったこともある。「お寺ができるホスピスありますか」と。いのちの尊厳が、施設の中に閉じ込められていることに違和感があった。

 

先週、奈良県で初めて開所したホームホスピス「みぎわ」を訪ねた。ずいぶん視野が開けた気がする。その場所にしかない「看取り文化」の風を感じる。宗教の息づく場とは、やはりこういう現場なのだと。

家の名は旧約聖書の「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわ(水のほとり)に伴われる」(詩編23編)に依る。

ホームホスピスとは、自宅に近い環境で自然な看取りができる場所を言う。多くは、普通の一軒家を改装した場所で、少人数での共同生活を営む。 事業形態としては新しいが、これで起業や自立を目指す、というのと少し違う。また、どの地域でも歓迎されるわけではない。いわば「死を待つ人々の家」である。最初、内容を聞いたら、多くの人は奇異の目を向けるだろう。

にもかかわらず、じわりとホームホスピスが広がりつつあるというのは、もちろん家族の事情や医療の限界などあるが、いちばんたいせつなものを地域に回復させようとする、意志ある人々の使命感と努力以外何ものでもない。その多くは元看護者や介護士たち。ほとんどが女性たちだ。私は、その人たちの「生き方の選択」に強く惹かれる。

みぎわの櫻井徳恵さんもその一人である。20年近く在宅介護の経験を持つベテランだが、もうひとつの顔は少女の頃から聖書に親しんできたクリスチャンだ。尊敬する牧師と協働してNPO法人を立ち上げたが、むろん布教のためではない。ないが、家の壁面には、聖書やマザーテレサの言葉が掲げられ、場全体から祈りの力を強烈に感じる。

「牧師さんは患者さんのためというより、私の拠りどころ。それがないと、ここ(家)はやっていけない」

宗教は、人間の生き方を変える。それを通して、社会を変えていくことができるのであれば、宗教は社会を変えていくのだと思う、

 

隣近所とどう関係を結んでいくのか。日常の中に死はどのように受け入れられていくのか。あるいは次世代は、死の場所から何を学ぶのか。こういう場所がひとつあるだけで、地域はゆたかにいのちを語り出す。

「でもね、ほんとに町内で暮らす人が、ここで逝くまでに10年はかかると言われているんですよ」

みぎわの家のどの部屋からも、庭の桜が見える。満開の頃、病床に人は何を思うのだろう。

*エンディングセミナー2016「もうひとつの<終のすみか>」では、櫻井さんの講演とセッションを開催します。9月24日(土)14時開会。大蓮寺にて。後日詳報します。ご期待ください。

migiwa