センス・オブ・ワンダー。花祭りに思うこと。

(2021年04月05日 更新)

4月8日はお釈迦様の誕生日をお祝いする祝祭日です。正式には「灌仏会」といいますが、「花祭り」といった方がポピュラーでしょう。
なぜ花祭りなのか。ルンビニーの花園で生まれた、あるいは7歩歩いた足跡から蓮華の花が咲いた、周りの草花が花を咲かせた等々、花にまつわる伝承が数多く残されています。
仏は蓮華台に安置され、供養にもお花は必須なので、当たり前のようになっていますが、私は、それを仏教の自然観、生きとし生けるものを尊ぶ生命感の現れと受け止めています。

話は変わりますが、有名な海洋生物学者レイチェル・カーソンは、最後の著作「センス・オブ・ワンダー」にこう書いています。

「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない“センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さに目をみはる感性”を授けてほしいとたのむでしょう。」

名著「沈黙の春」で、環境の危機を訴えた彼女が、本当に伝えたかったことは、知識や技術の進歩よりも感性、それも子どもの感性への回復であり、気づきでもありました。人間は自然を支配・操作するのではなく、その一部として共生しているのであり、そこに未知なる自分自身と出会う道筋も見出せるという啓示がありました。60年も前、彼女はエコロジー文化の本質を説いたのでした。

花祭りに話を戻すと、お釈迦様は、自然との共生を願って花園を生誕の地とされたのではないのか、ひょっとして「センス・オブ・ワンダー」の申し子として誕生したのではないか、という思いに駆られます。詳しくは述べませんが、そう言い切れるほど仏教には自然との共生が説かれているし(山川草木悉有仏性)、自然の一部として人間の「あるがまま」を受け入れる思想(自然法爾)があります。花御堂に祀られる誕生仏とは、つまりそれを子どもの原初の感性に立ち返りながら、世界に指し示そうした象徴ではなかったのでしょうか。

春本番、花々が美しく咲き誇る季節です。やがて緑が青々と茂る時候も巡ってきます。自然観賞も結構ですが、まず子どもとともに自然の美や変化を感じること、子どもの感性に任せて、感動したり発見したりすることを試してみてはいかがでしょうか。大人が、子どもから気づかされることがたくさんあると思うのです。

レイチェル・カーソンはこうも言っています。

「子どもと一緒に自然を探検することは、まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性に磨きをかけるということです」