コール&レスポンス。念仏を口に称えるということ。

(2016年07月20日 更新)

浄土宗の教えの本丸は、同称十念、声に出して十編念仏を申すこと、それに尽きます。過日のお葬式でも、私は何度もくりかえし「お十念を申しましょう」と遺族たちに勧めたのですが、最初のぼそぼそ声が、次第に前に出るようになって、やがて揃ってくる。住職として小さな「達成感」をおぼえます。

逆にいうと、浄土宗の檀信徒であれば、誰でもすっと念仏が出るわけではない。万人が可能な易行として継承されてきたはずですが、意外に現代人にはハードルが高いのかもしれません。なぜなのか。

例えば返事とか依頼とか注文など、私たちは日常目に見える相手に声をかけています。相手も応えてくれるので、コミュニケーションは成り立つのですが、その点、念仏はどこか頼りないのかもしれない。もう少し言うと、そういう頼りないものを頼っているように声を出す(主体的)行為が、今の人には抵抗があるのでしょうか。

浄土宗の念仏は、あなたと阿弥陀様の応答関係をつくりだします。「わが名を呼ぶ者は必ず救う」と阿弥陀様が誓われた、その本願に私という立場が目覚めるということです。A対Bといった二者関係でなく、Aは果てしないBとのつながりの中に生かされているのであって、念仏は仏様に呼びかけているように見えるが、じつは仏様から導かれているとでもいえばいいでしょうか。

また、阿弥陀仏や極楽浄土を心から信じられないからといって、念仏を称えることに負い目を感じる必要もありません。そう簡単に信じることなどできない凡夫のために、浄土宗の教えがあり、私たちはその教えをまずは精一杯「演じてみる」だけで充分なのです。

もうすぐお盆。今年の棚経では、「同称十念」をお勧めしますので、ぜひ口に称えてみてください。コール&レスポンス。あなたの身体の中で、小さな気づきが起きたとしたら、すばらしいことだと思います。