グリーフからはじまる

(2014年02月11日 更新)

「グリーフ」という言葉の功績のひとつは、お寺と市民の距離を近づけたことではないだろうか。宗教者が伝統的なグリーフワークとして葬式仏教を「再発見」したことの意味は大きいし、心理学や精神医学の専門知識がなくても、市民が生死に寄り添う役割を知らしめたことも意義深い。そして、興味深いことに、両者の接近や協働が少しずつ進んでいる。若い友人尾角光美さんのリブオンは、その代表格だ。
 今日、リブオンが一般社団として活動を始めて5周年の記念の集いがあった。2008年、應典院で「100年目の母の日」を開いたのが契機となったというので、今日は5年ぶりの里帰りと言えるかもしれない。
 一応お寺なので、柄にもなく、私が開会の挨拶をすることになった。以下はその要旨。実際のとは少し違うかもしれないが、書き留めておこうと思う。
 早いもので、リブオンが設立されて5年が経ちました。應典院は今年で17年。過ぎた時間は違いますが、ずっと並行して、同じ道を歩いてきたような気がします。
 グリーフという言葉は、2005年頃から社会でいわれるようになりました。自殺対策基本法やがん対策基本法などができ、その時期から人々の関心が「死別」や「喪失」に寄せられるようになりました。でも、それが一気に浸透したのは、やはり3年前の3.11東日本大震災からでしょう。それまで「わたしごと」として個別に閉ざされていた死が、3.11以降、みんなの共通の関心へ、また生涯を通して取り組むべきヒューマン・イシューとして認識を新たにしました。グリーフは、悲しみを公共的な課題として取り出したのだと思います。
 私が出会った頃の尾角さんは、20代半ばの大学生でした。リブオンの仲間たちは、私から見れば、娘や息子のような若い人たちです。グリーフといえば、中高年世代の関心と見られがちだったものが、若者たちの参加によって、世代に留まらない生涯課題として再認識された意義は小さくないと思います。そして、いのちを、自己の生命だけに閉じない、誰かにリレーしていくつながりとしてとらえることができるようになった。「グリーフから希望を」という尾角さんのメッセージに、とても共感を覚えるのです。
 もうひとつ、特筆しておきたいのは、尾角さんの活動は宗派を問わない若い僧侶たちに広く受け入れられたということです。彼女はお寺の出身でもないし、熱心な仏教徒というわけでもない。にもかかわらず、グリーフを語るふつうの女性のことばと行動に、青年僧たち(もちろん女性僧侶も)は強く惹かれていったのです。仏教の根源にある力を気づかせたというのか、いや、特定宗教だけでない、スピリチュアルなケアのはたらきや役割に、僧侶も市民も違いを超えて共振していったのではないでしょうか。
 変化はいつも外からやってきます。私は、両者の協働は、これからの仏教の行方を示すひとつの海図のように思えてなりません。
 5年目を迎えて、リブオンはさらに次の段階を迎えようとしています。「グリーフサポートが当たり前にある社会をつくる」。それまでの道のりは長いけど、これからも励んでいってほしい。應典院も一緒に歩んでいきたいと願っています。