ある食育の勉強会で、講師の先生の「幼児の味覚は,親のことばがけで作られる」というお話に強い印象を受けました。
子どもの味覚と言葉は最初から一致しているわけではない。甘い、苦い、酸いなどは、一緒に食事をする大人が「甘いねぇ、おしいね」と共感的に語りかけなくてはならない。逆に辛くて食べられないとしたら、「辛さは大人の味だね」というふうに言い換えて、「辛いからまずい」と先入観を押しつけてはならない等々、そんなお話でした。大人のことばがけは、子どもの味覚、感性にも大きな影響を及ぼすというのです。
そう思うと、私たちの日常の暮らしの中で、どんなことばが行き交っているでしょうか。テレビやインターネットのことばはスピードや鮮度はあるかもしれないが、子どもの感性によき影響を与えているとは思えない。やはり最も身近な模範、親や先生からのことばがけこそ、子どもたちの潜在意識に深く記憶されるものであると思います。
立派なことを言え、というのではありません。この年齢の子どもたちは意味よりも情感であり、話者の語りの暖かさや豊かさに敏感に反応します。ことばは思いの熱の伝導体。私たちがどれほど心をこめてことばがけをしてきたか、その心情や態度がセットになって子どもの内面に染み込んでいくのです。
当園のどの教室にも「2学期の学年目標」として「協力」や「信頼」といったことばが掲示されています。今学期に学年全体で取り組んでいく行動目標でもあるのですが、
子どもたちに辞書通りの説明をしてもわからない。むしろ園生活の中で立ち起きるさまざまな場面の中から、それとふさわしい人間関係を育んでいくのです。
「○○くんと○○さんが一緒にお手伝いをしてくれました。クラスのために、力を合わせて協力してくれました。ありがとう」
絵本もそうです。日常生活で私たちが言語化にできないようなことも、物語を借りれば、親のことば、先生のことばとして語り伝えることができる。生きるよろこび、他者を思う愛しさ、死別の悲しみ……見えないものが見えてくる。情操や情緒も、味覚と同様大人からの「ことばがけ」でつくられるのだと思います。
翻って私たち大人のことば環境はどうでしょう。知識や情報価値を求めるあまり、ことばの前に思慮深さや謙虚さを見失ってはいないでしょうか。子どもにゆたかなことばがけをするのであれば、まず私たち自身がことばの感性を磨かなくてはならない。そう感じます。
2学期から、玄関ホールのPTA文庫を一新しました。本棚には、園長の推薦図書や名著から引用したことばを何点か紹介しています。哲学者のことばあり、研究者や作家のことばあり。少し立ち止まって、ことばがけのレッスンを始めてみませんか。