お弁当は素のおにぎり2個。震災21年目に。

(2016年01月18日 更新)

 先週、パドマ幼稚園のPTA有志による「防災絵本」の講座がありました。絵本を手がかりに世界を学び直す試みを続けているのですが、この日は「グリーフ」とか「平和」「家族」というテーマを挙げて、読み語りをしてみました。

 そこで、私は園長として次のような話をしました。

 

 何年か前の冬のある日、私が神戸市内の幼稚園で講演をした折のことです。講演が終わってから、園長先生が挨拶に立ち、会場に集まった保護者に、次の日のお弁当の連絡をされました。

 「明日は1月17日です。例年の通り、お弁当は、おにぎり2個、のりを巻かず、具も入れない、ご飯だけのものでお願いします。それ以外は持たせないようにしてください」

 あの日、神戸市中にあったこの園も甚大な被害を被りました。避難所生活を余儀なくされた園児家族や教職員も少なくなかったそうです。不安と空腹に震えていた避難所の人たちにいちばん最初に配給されたのが、素のおにぎり2個だったといいます。具の入っていない、海苔もまいていない、おにぎり。誰が握ってくれたかはわからないが、海苔も具もない分、心の味が染みわてって格別においしかったそうです。その時の安らぎと感謝を、震災を知らない親や子どもたちに伝えたいと、20年間、毎年「おにぎりの日」を続けておられるとのことでした。

 

 あれから21年、「防災」「減災」という言葉はしっかり日常に浸透するようになりました。もちろん防災にあたってどう危険を回避するのか、また生き延びるための食糧・飲料水など何を備えとするのか、そういった知識は大事なことです。しかし、本当にどうしても震災を避けられない事態となった時、私たちにいちばん大切なものは何でしょうか。

 当然のことですが、ひとりだけが、一家族だけが「被災」するのではありません。震災は惨いことですが、あたり一帯を巻き込み、馴染みのある地域全体を飲み込んでしまいます。まず自分が助かる「自助」がもっとも重要ですが、自身の無事を確保できれば、つぎに家族を、そしてお隣やお向かえさんの安否を気づかわない人はいません。状況に応じて家族を、地域の人々を救援する、そういう「共助」が大切です。

 

 いえ、すべてに人命救助が優先といいたいのではありません。そんな大それたことはできなくても、お隣のことを気づかい、思いを寄せたり、いたわりの言葉を届けることはできるはず。食糧や物資だけでなく、心で育む助け合いは同じ家族や地域だからできることだと思います。そういう思いやりの発露こそ、「慈悲」とよぶべきもの一番近いのではないでしょうか。

 

 過酷な避難所生活の中で、人々が唯一希望を見いだしたのは、子どもたちの屈託のない笑顔でした。子どもがいるだけで、明日を信じることができる。上手な言葉や態度を示すことはできなくても、私たちは十分「共助」されている。それはけっして震災という特別な状況だから、とは限らない。そう感じるのです。

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