地元の記者クラブで若い新聞記者たちと話していて、いちばん興味をそそったのは、こんな件である。
「NPOなんて、80代の高齢者には得体が知れない。そこにお寺の住職が立ち会えば、容易に信用してくださる。お寺に対する中高年の信頼度は抜群なんです」
30代くらいの、あまり宗教なんぞに興味のなさそうな地回りの社会部記者たちも、「そりゃ、そうですね」とこぞって納得するのである。寺の神通力? それって、地域資本としてもっとも重要なことではないか。
お寺とNPOの協働事業として、去年から生前契約を始めた。単身者の死後事務を、法的手続きをもって第三者に委託するサービスである。おひとりさまの時代、身よりのない人にとって、最後の「自己実現」だ。財産や住居の処分から残されたペットの世話、死後の法事の執行など、その「契約内容」は多岐にわたる。近頃ちょっとしたブームとなって、葬儀社から行政書士、FPなどが看板を出しているが、委託金に100万以上は拠出しなくてはならないのだから、ブラックも少なくない、という。
大蓮寺が生前契約の草分けNPO法人りすシステムと提携したのが、去年の8月のこと。まだ契約者は2名に過ぎないが、いい感触を得ている。具体的なサポートは、NPOが、葬儀・墓・供養は大蓮寺が担当する契約なのだが、やはりお寺に対する信頼は篤い、と実感する。NPOとかカタカナで言われてもピンと来ないが、そばで黒衣の私が勧めると、安心してハンコを押してくださるのである。責任は重い。
いや、それだけだと、まるでお寺がNPOの保証人のように見えるが、じつはその信頼関係はもう一回転する。お寺が生前契約を活用することで、檀信徒・市民との信頼関係を取り戻すのである。
いったい住職は檀信徒からどれほど頼りにされているのだろうか。仏事の相談は日常的なことだろうが。それ以外に生きがいやあるいは最期の迎え方など相談を受けた経験はあるのだろうか。もちろん百人百様だろうが、「終活」がこれほどブームになるのは、住職の相談力が減退している証拠ではないか。
ネットには情報があふれ、その気になれば、坊さんレベルの知識を得ることはむずかしくない。何を知っているか、ではなく、何ができるのか、だ。単身の時代、孤立となりやすい時代だからこそ、誰もが抱く不安解消の役に、住職は何ができるのだろうか。
私に、格別の専門性があるわけではない。生前契約の実行主体になるのはむずかしい。しかし、お寺が窓口になって専門家に橋渡す役は担えるかもしれない。いや、ただの右から左へ取り次ぐのではない。死後の不安を、住職が受け止めて、一部を専門家と協働しつつ、断続的に宗教的ケアを担うのである。それが、死後を見通した生前の関係づくりであり、だからこそ寺はNPOと協働するのである。
「終活難民」の著者星野哲さんは、その相乗効果をこう述べている。
「NPOに対する社会の信頼度はまだ低く、その経済基盤も決して盤石とはいえないところもある。相談を受けた寺とは、程度の差はあれまだ信用されているからこそ相談が来たはずである。その信用度でNPOをいわば裏書きする。利用が増えることで、NPOの経済基盤も安定する。寺は、檀信徒の悩みに応え、生前に関係性を深めることができる」(サリュスピリチュアルVOL9)
寺と檀信徒の関係密度を濃くしていこう。それはNPOを、市民を巻き込み、あるいは医療・看護や福祉にかかわる人たちとのリレーションを拡げていくかもしれない。生死を軸に、地域をつないでいく。冒頭お寺が地域資本であると述べたのは、その好循環の可能性を感じるからだ。今からでも遅くない。お寺に、まだ相談を受けるだけの信用が残っているうちに。
エンディングセミナー2015は、生前契約の研究者星野哲さんと対談を行います。ふるってご参加ください。
日時 | 2015年7月25日(土) 13:30〜16:00 |
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会場 | 大蓮寺客殿 TEL06-6771-0739 |
話題提供者 | 星野 哲(ほしの・さとし)さん 1962年東京生まれ。朝日新聞社で学芸部記者として葬送分野を取材、以来市民社会やCSRなどの取材・活動などを経て、現職は教育企画部ディレクター。 立教大学社会デザイン研究所研究員、エンディングデザイン研究所研究員。今年度から、立教大学大学院兼任講師として「看取りと弔いの社会デザイン学」を担当する。著書に「終活難民」「葬送流転」など。 |
参加費 | 1000円 |
申し込み | http://uemachi.cotocoto.jp/event/156324 |