お寺とNPOの生前契約

(2014年06月01日 更新)

エンディングセミナー告知はがき写真

 大蓮寺ではNPO法人りすシステムと連携した「生前契約」の事業(寺業)を、この秋からスタートさせる。単身者から委託を受けて死後事務の実行を、お寺とNPOの協働によって取り組む。来月5日には、構想発表も兼ねてエンディングセミナーも開催する。
 「生前契約」について説明しておきたい。多死と単身がセットで加速する今、「死後を誰に託すか」は緊急の課題である。自分で自分を葬ることはできない。火葬から葬儀、埋葬、死亡通知や家の整理、かわいがっていたペットの処遇までこれら「死後事務」は生前誰かに託さなくて叶えられない。血縁主義の日本では、いくら無二の親友でも法的契約がなければ他人がかかわることは許されないのだ。
 終末期や死後のありかたについて、自らの意思を実現するためには他人ではなく、法的な手続きをもって第三者に家族の役割を託す必要がある。いわば血のつながりのない、「もうひとりの家族」を契約によって任命するのである。
 りすシステムも、93年、東京の功徳院を母体として生まれたNPOで、「生前契約」の分野では草分け的存在である(りすとは、リビング・サポート・サービス・システムの略)。「死後事務」と「生前事務」のふたつの柱があって、その契約の遂行を監視・決済するためのNPO法人「日本生前契約等決済機構」が別に組織されている。こちらは、公証人や法律家が組織しており、預託金の受託と支払いを担当している。
 「死後事務」のメニューは、いろいろある。火葬・埋葬を基本に、葬式の手配、執行、以後の供養などがあり、生活面では、電気・ガス・水道の料金支払いからパソコンや携帯電話の情報消去まで。死んだ後もたくさん残務はある。
 それだけではない。あなたが急に入院や施設入居になった際、誰が保証人となるのか、また医師から治療方針を聞く時、誰が支えとなるのか、他にも財産管理や処分、平生の安否確認など、「生前事務」にも確たる信頼関係を紡ぐ相手の存在が欠かせない。
 「迷惑をかけたくない」から、終活がブームになる。その心理の背景には、「頼れる相手」の不在と、「頼りたくとも頼れない」不安があるのだろう。それを法的に契約してNPOに委託する。その両者の間に、大蓮寺が立ち会うのである。
 いくら実績のある団体だといっても、最初は「見知らぬ他人」だ。しかも、小さくない預託金を払わなくてはならない。一生を他人に託すのである。高齢者には一大決心だろう。またNPOの方も、相談者の実情を熟知しているわけではない。本人の言い分が本当だと信用する他はないが、周囲の人たちとの関係まで知る由もない。長いつきあいのある寺が介在する意義は小さくない。
 それ以上に、いや、私の目的は実はそこにあるのだが、実務的解決だけが本人の意思ではなく、意識しているか否かは別にして、究極の「死後の準備」とは精神的(スピリチュアル)な心の受け皿づくりなのである。死は恐ろしいか。死んでどこに行くのか。底辺には自分の死を悲しむという「予期悲嘆」もあるだろう。「生前契約」とはある意味で、本人の隠れていた死生観があふれ出す機会でもあるのである。
 果たして私がどこまでかかわりきれるか自信はないが、そのレベルで、対話できる人材はNPOにはいない。「かかりつけの僧侶」が動き出すチャンスだ、とも思う。
 7月5日のエンディングセミナーでは、りすシステムの代表理事、杉山歩さんと葬送アドバイザーの廣江輝夫さんと私の3人で、話し合う。寺がどこまでかかわれるか、の戦略会議だ。
 タイトルの「終活」という言葉は本意ではないが、キャッチとして入れた。8月には「自然」の会員を対象に具体的な説明を開催する予定だ。ぜひ若い僧侶にも来てほしい。


夏のエンディングセミナー2014「おひとりさま、最後の終活〜お寺とNPOの『生前契約』〜」