コロナ禍の間となってご法事が減ったという声を仲間の僧侶からよく聞きました。大蓮寺ではあまり実感がなかったのですが、去年の5類以降は、さらに熱心に勤める方が多くなったと感じます。永代供養の会員さんも含めると、当山では年間100件以上のご法事を勤めていることになります。
なぜ法事を勤めるのか、改めて思いを馳せると、日本人の大切な「心の習慣」がここに受け継がれていると感じます。一周忌、三回忌、七回忌、さらに続いて三十三回忌まで、亡者の回向をかくも長く勤める国民も少ないでしょう(韓国では三回忌までが基本です)。年回追善法要では、故人やご先祖に対し、そのつながり(ご縁)に恵まれた方々が、家族であれ友人であれ、追慕と感謝の気持ちを届けつづける尊い習慣なのです。
法事というと本堂回向が連想されますが、その後のお墓参り、さらにお寺での会食など、ご先祖様との交流が続きます。一緒に食事をすることも、ご先祖様との「共食」です。すべて故人を中心とした心の交流でもあるのです。
一般的には参列者は礼服を着ているし、久しぶりの顔もあるし、いろんな作法もあって、ちょっとかしこまった場でもあります。それは仏様と故人に対する敬意の表れであって、こちらの気持ちも洗われます。今時のメディアはネットも含め、「仏事は負担」「お金がかかる」と吹聴しますが、世界のどこにも「負担なき礼儀」はありません。負担ではなく、ご先祖様に礼を尽くしてきた、立派な文化なのだと思います。
「若い世代に負担をかけたくない」というお考えもわかりますが、その前に若い人にも積極的に呼びかけて、ご法事を体験してもらうことも大事なことではないでしょうか。古くさくて堅苦しいから、とは案外こちらの思い込みで、若い世代ならでの気づきもあるはずです。
ネットや動画に慣れ親しんだ世代にとって、お寺空間や、ゆっくりした時間は、ある意味発見ではないでしょうか。いや、当山でご法事が「減らない」のは、それが理由だからと思いたいものです。