人の口には、斧が生じている。 悪口を言わない人生。

(2022年02月21日 更新)

近年SNSがすっかり浸透して、コミュニケーションの質が変わりました。プラスの影響もありますが、目に見えない相手に対する非難や攻撃が容易になりました。大抵が匿名ですから、いわば仮面を被った状態なので、いつの間にかエスカレートしれ、自分をコントロールできなくなる。本性丸出しになったりします。ヘイトスピーチとかその最たるものです。
もちろん誰でも人の悪口とか非難はしたくない、感謝と笑顔の人生を過ごしたいと願っているはずですが、しかし人の口には戸が立てられません。よくない噂とか評判には誰もが耳をそば立てます。また、心のストレスもあるでしょう。悪口がある種の憂さ晴らしになっているのかもしれないし、それが暗い承認欲求を満たしているのかもしれません。悲しい哉それが人間の性であるのかもしれません。

すでに、2500年前、お釈迦様は、悪口についてこうおっしゃっています。
「人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を語って、 その斧によって自分を断つのである。」(スッタニパータ)
ここでは、まず私たちは悪口を言ってしまう本性(斧)を持っているという自覚があります。悪口を言わないでいられない、ついその斧を振るってしまうという自己認識です。そう思うと私たちは、毎日どう振る舞えばいいのか、口の中の斧をどう使わないで済ますのか、悪口を言わない生き方とか考え方はどういうものかにおのずと認識が向きます。
いくつか方法はあると思います。が、まずはじぶんの領分を知ることではないでしょうか。自分に何がふさわしいのか、わきまえるという意味です。自分をふさわしい場所におき、ふさわしいように扱っているならば、問題や悩みやストレスは最小限に止めることができるでしょう。
それから、自分をふりかえる習慣をもつ。自分を別の視点から見つめ直す機会を持ちましょう。私からオススメするのはお寺参りです。
ご先祖のお墓まいりでも、観光寺院巡りでも、地元の神社参拝でもいいのです。いつもの仕事や生活とは違う時間あるいは空間に、意識的に触れてみてはいかがでしょう。お寺は境内や墓地が広く、そこには仕事や家庭とは違う時間が流れています。そういう場所に身を置くと、仮に不平不満があったとしても、ふと相手のことを考えたり、自分の至らなさに気づいたり、そう言う冷静な見方に改まるきっかけにすることができると思います。

仏教には「十善戒」と言う、人として守るべき戒律があって、その中に。あっく(悪口)、言葉についての戒めが4つも出てきます。

1不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
2不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。
3不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。
4不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌を使わない。両舌はもろ刃の斧ですね。

悪い言葉は相手を傷つけ、自分の心も汚してしまいます。言葉が人間関係の上でどれほど大切なものか、仏教ではこれをしっかり考えてきたのですね。自分を振り返るきっかけにしてみてください。

悪口は言わない。口も心も傷つけない。穏やかな人間関係を心がけてまいりましょう。