夜のお寺で、テツガクする。

(2015年01月25日 更新)

夜のお寺は美しい。外とは別の時間が流れていて、そこだから生まれる場所や出会いがある。今日の「哲学カフェ」がそうだった。

愚息がファシリテーターということで、親ばか半分で参加したのだが、なかなか深い時間だった。時間は7時から9時半まで、集まった6人(女性5人!)はいずれも息子は初見の人だという。素性も動機もわからないが、考える場所を探しに来たのかもしれない。

みんなで選んだテーマが「自然体とはどういうことか」。話し合いの中身ははしょるが、結論の出ないやりとりが続く。誰が何を話してもいい。「正直に話す」「自分のことばで話す」「話しは最後まで聞く」。最初に示されたルールがあるだけだ。

はー、そうですね、いやー、ちがうなあ、そうそう、わかるわかる、わたし、かんがえなおしました…

理路が通ることよりも、私にはその合間に生まれる聞き手たちの共感とか納得、発見など反応ぶりが面白かった。会社や学校では、無駄だ、いらないと摘まれてしまいそうな糊しろのコミュニケーションだ。

それを黙って受け入れるのも、お寺という場所の魅力なのではないか。時間の厚みが糊しろの幅を押し拡げていく。考えるとは孤高の営みではなく、そんな場と共振しながらゆっくりと育まれていくのだと思う。

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