音楽は生きるすがた。学園葬終わる。

(2014年10月20日 更新)

先週15日、学園葬が終わりました。台風一過、秋晴れの好日、秋田光茂学園長の逝去を悼み、各方面から600名の方々にご参列いただきました。大蓮寺、幼稚園、さらに應典院の3つの施設が開放され、グループの職員が総勢でお世話できたことも意義があったと感じています。学園葬の白眉は、やはり年長の子どもたちによる献歌でした。学園長が大好きだった「夕焼け小焼け」と「今日の日はさようなら」の歌声は、大勢の参列者の胸を打ったことと思います。

学園長は音楽が大好きでした。カラオケもよく歌いましたが、晩年は幼稚園の教室を巡回しては、合唱の指揮を取るのが無二の愉しみにしていたようです。そばに仕えていて実感するのですが、学園長にとって音楽は教育活動というより、生きるすがたそのものではなかったかと思います。
学園葬の日、子どもたちは恐らく初めて、愛する人を喪った悲しみの場で歌う、という体験をしたことと思います。ふだんの教室や舞台で歌うものは、よろこびであり、楽しみであり、大人もみな笑顔で受け止めてくれるものです。しかし、昨日は先生も参列者も表情が沈み、彩りも華やかさもない。いつもと違う何かを、小さな胸に感じてくれたと思です。

人類の歴史で、言葉より先に生まれたものが、音楽でした。今のように誰かを楽しませるための音楽ではなく、人間は原始にあって内面の発露を「音楽なるもの」に託したのでしょう。よろこびや楽しみもあったかもしれないが、歌の最初のすがたは、別れであり、悲しみではなかったのか。どうにも癒されないものを、人々は歌に預けて、彼方へ送ろうとしたのではないでしょうか(お経もそういう「歌」のひとつだと思います)。学園葬の献歌を聴いて、私はふとそのことを思ったのです。

学園長、父は9才の時に、母親を亡くしています。男4人兄弟の末っ子の父は格別に母親に溺愛されたそうです。音楽好きな母親でした。戦前の話ですが、お寺には蓄音機があって、クラシックのSPレコードをよく聴かせたそうです。甘えたの父を膝の上にのせて、母はよく歌を歌ってくれた。そう話していました。

父がずっと抒情歌や童謡を好んだのは、少年の頃、死に別れた母親との美しい思いでがあったからだと思います。

音楽は生きるすがたである。人生にはよろこびも悲しみもあるように、歌にも多彩な表情があります。幼児にとって、死別の場で歌を歌うという体験は、そのまま心の深いところで、生きる意味を教えてくれている、とそう思うのです。

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