だんだんと住職になっていく。住職交代という節目。

(2022年10月03日 更新)

先月23日お彼岸法要の席で、かねがね予告しておりました通り、29世住職の私から、30世光軌へ、大蓮寺住職の法灯を承継しました。1550年創建の大蓮寺にとっても、37歳にして30代目というよい節目となる交代式でした。

住職交代というのは、私たちの世界では一世一代の大事業であり、晋山式(しんざんしき)という(絢爛豪華な)式典がつきものなのですが、時節柄これも見送り、両名から挨拶だけというきわめて簡素なものでした。それでも、コロナ禍のところ、足を運んでくださった70名近い檀家さんには心より感謝申し上げる以外ありません。

私、29世は、平成15年(2003年)に住職就任しましたので、今年度終われば20年の在任にありましたが、半世紀もの間その座にあった先代(28世光茂)に比べれば半分にも満たない経験です。過去の業績を振り返ったり、引退の式典を行ったり、そういう趣味は全くなく、先頃引退した前・英国首相の言葉を借りれば、「役目を終えたロケットのように、太平洋の遠くに見えないように落ちていく」感覚です。誰が住職であるかということより、大蓮寺がどんなお寺であったか、どんな檀信徒とともにあったかという点こそ重要ではないかと思います。(その意味では、「自然」は初め数々の永代供養墓が普及して、信徒が増えたことは私の在世中のエポックかもしれません)。

若い住職は僧侶となって以来、ずっと私とともにあったので、一部には無理解や反発もあったかもしれませんが、大きくは同じ目標に向かって経験を重ねてきました。大蓮寺の法務だけではありません。應典院の数々の事業はリードしてくれているし、永代供養の法務は大半を担当してくれています。幼稚園では次期園長として、若い職員から親しまれています。博士課程に在籍するなど学識に深く、温和で傾聴のできる人柄です。

とはいえ、圧倒的に実際の経験は不足しているので、当面は私と二人三脚で行くことになりましょう。完成されているから継承するのではありません。私もそうでしたが、住職を継承した時から、本当の住職への道のりが始まります。住職仲間や檀信徒の皆さんに育てられ、だんだんと住職に「なっていく」のだと思います。