五重相伝延期。一枚の私信。

(2020年03月14日 更新)

5月の五重相伝を取りやめにした。いろんな方々のご配慮があって、奇跡的に来年5月に延期できたものの、やはりショックである。幼稚園のいきなりの休園もそうだが、コロナは早春のよろこびを奪っていく。

五重相伝は、5日間に渡って檀信徒に念仏の奥義を授ける浄土宗最高の道場で、私が勤めるのは17年ぶりである。それなりの準備を進め、54名もの受者も揃い、16人の執持寺院と初回の準備会の日程を決めたばかりだった。苦渋の決断である。

判断は彼岸明けてから、と考えていたのだが、1週間前に受者の人から私信をいただいた。
「生涯一度限りの五重相伝を、不安の中で受けたくない」
この一言が決定打だった。

密室道場というくらい、5日間は密閉されているし、椅子席でその人数だと間は20センチもない。念仏申すことを、「感染行為」と見なされたら元も子もない。周りのお寺方に相談したのだが、みな文面に唸るしかない。優柔不断の気分が、一枚の手紙によって裁定されたのだ。

この2月はとにかく時間を見ては、伝書(奥義を記したテキスト)を記述することに精を出していた。このたびは私の引退五重でもあるので、是非があるのは承知で特色ある道場を計画していた。そのための音響やプロジェクターも発注手前だったのだ。「来年に延期になっただけ」と自身を励ますが、なんとも煮え切れない。せつない。

決断してから寺族と手分けして、受者全員に電話をして詫びた。みなさん理解を示してくださり、「来年また」と再起を確認しあった。ありがたい。これが3年先の延期なら「そこまで生きてますかなぁ」と言われたかもしれない。

1年先延ばしになったのだから、七分がた進んでいた準備は一旦中断する。大量に注文した塔婆も倉庫に眠ったまま。伝書も一年かけて書けばいい、と言われそうだが、どうも私の周辺には俗事が多過ぎて、こちらもシフトせざるを得ない。

せめて気概をキープしながら、1年先の成満の日を待つしかない。本堂前に掲げられた大きな駒札をどう書き換えようか、目下そんなことを考えているのである。