PISA「読解力」急落。早期の言語体験を。

(2019年12月13日 更新)

先日、2018年に実施されたPISA(国際学習到達度調査)の結果が公表されました。おなじみになったOECD(経済国際協力機構)主催の世界統一学力テスト(世界79ケ国、60万人の15歳が参加)、今年も日本は「数学」「科学」では健闘するも、「読解力」の下降は歯止めがかからず、過去最低の15位という結果に終わりました。

そもそもこの手のランキング、どこまで意味があるのか異論のあるところですが、メディアではこれまで同様にSNS批判と、本や新聞の習慣の必要性を繰り返しています。曰くLINEで短文しか読まないから深い読み込みができていない。読書率は世界最低クラスで、チャットはほぼ毎日(87。4%)と世界一ですから、それはごもっともなのですが、幼稚園の園長の立場からすると、15歳にしていまさら読書の習慣を、といってもむずしい気がします。

もはや小学生のほぼ半数がスマホを所持している実態からいうと、もっと早期からの言語環境、読書習慣を見ていかないと、闇雲にSNS批判をしていても後顧の憂を残すばかりでしょう。

幼稚園の観点から見れば、まず身体づくりこそ基本ですが、同様に幼い時からの絵本読み(読み聞かせ)、ことばあそびや文字活動など早期からの言語体験のあるなしは将来に大きな影響を及ぼすと考えます。家庭や地域から子どもが少なくなったいま、園の集団生活の中で、子どもどうしがことばを使ってかかわったり、伝えたり、考えりすることは、将来の読解力の出発点として価値あるものでしょう。特に、お寺の幼稚園らしく、お念仏や読経、古典の音読など、昔から伝わる日本語の音感やリズムにふれることも幼少期の経験として重要と考えます。

いまさら大家族主義を願っても難しいのであれば、せめて家庭ではテレビやスマホに頼らない言葉の交流を意図してはどうでしょう。親子の会話はもちろん、子どもがそばにいると時、対子どもに関わる内容でなくても、両親の交わす言葉が、大きな影響を及ぼすという研究結果もあります。生の会話や対話の質もとても大切なのです。

SNSを悪者にしても始まりません。要はLINEに隷属しない、根の太い読解力を今から育てていくしかないのです。