日本ラグビー健闘。念仏と品位。

(2019年11月15日 更新)

 ラグビーW杯が終わりました。日本チームの健闘ぶりに多くの国民が熱狂しました。

 ところで、ラグビースピリッツを表す5つの価値、「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」が「ラグビー憲章」に定められていることはご存知でしょうか。突き倒すほどのコンタクトプレーでありながら、試合が終われば互いをたたえ合う精神は、ラグビーならではの魅力と言えます。

 しかも、5つの言葉の先頭が「情熱」や「結束」でなく、「品位」で始まることに意外な感覚を覚えます。品位とは「道徳的価値から見た人の性質や人格」を言いますが、スポーツにおける理性や倫理観を重視しているということなのでしょう。

 むろん、品位は勉強したからといって必ず身につくものではありません。学歴や年収や地位が高くても品の劣った人はいくらでもいますし、貧しく無学であっても「どこか品がある」と周りから言われる人もいます。やはり品位とは、多分にその人の生育環境や経験の質に比例するのでしょう。

 どんな職場でも、社会人としてのマナーや作法については指導されると思いますが、それと人間の品位は別物です。著名な講師から研修を受けたからといって、人の性質や人格はそう簡単には変わらない。もし大人が品位を身につけたいと願うならば、そのための特別な指導というよりも、社会や家族・友人との関わりも含めた日常生活の中に、独自の規範が求められてきます。

 唐突なようですが、信心も同じではないでしょうか。念仏を唱える際に重要なのは、極楽浄土の阿弥陀仏のお慈悲にすべてを任せ、欲望や弱さを抱え持つ「愚者」としての自覚を持ち、自らの愚かさを見つめつづけながら、せいいっぱい俗世を生きていくという決意です。しかし、これはそういう決意を持った者が念仏を唱えるようになるというよりも、阿弥陀仏に心を寄せて念仏を唱えるうちに、おのずからそうした決意が芽生えていくというのが実状であって、まさしく「南無阿弥陀仏」とは、人間の品位を高めていく規範としてふさわしいと思います。

 信仰をもつ人の中には、気品に富み、俗世とは異なる価値観をもつ人がいます。もって生まれたものというより、人生において、慎み、励み、赦した、その深みの中からにじみだすようなものでしょう。

 ベスト8に進出した日本ラグビーの強さは、そうした品位あってこそ雄々しいのです。