「虚」の時代。 仏教の三慧の心に学ぼう。

(2018年02月08日 更新)

真実を見極める力

 あけましておめでとうございます。

 昨年を漢字一文字で表せば、まさに「虚」にあふれた一年でした。世界最強国の大統領がフェイクニュースやら、オルタナティブファクトと言いふらし、国内では名だたる名門企業の不正や虚偽が暴かれ、10月には神奈川県で善人を装った無慈悲な連続殺人がありました。

 ネット社会は嘘と真実の境界が曖昧です。圧倒的な情報に毎日さらされていると、何が本当で何が嘘なのか、それ自体判別できず、ただ流されるまま身を任せてしまいます。真実を見極める力が弱体化しているのです。

 自分で学ぶ。自分で考える。行動する。またこれは違う、これは危険だ、というような直観は、ただ生まれついての性分ではなく、人生の中で積み重ねてきたものがしっかりした基盤となっていくのでしょう。それを倫理や規範ともいい、常識といってもいいと思います。

聞思修

 仏教を信心する、帰依するとは、教えによって自己を点検する、自己を改善する意味があります。

 例えば、仏教の三慧「聞思修(もんししゅう)」とは、智慧を修行の順序によって三つに分類したものですが、そのどれもが私たちに大事な視点を与えてくれます。経典の教えを聞いて生じる聞慧(もんえ)とは、「相手の言葉をよく聴く」ことであり、思惟・観察によって得られる思慧(しえ)とは「相手をよく観察すること」、そして禅定を修して得られる修慧(しゅうえ)とは、「慎重に行動せよ」と教えてくれます。仏教的な修行の道ですが、そのまま私たちの生活態度、行動規範として受け止めてよいと思います。

 誰々が言っているから、このメディアは間違いないから、ではなく、自分で見て考え自分で行動する。情報過多な時代だからこそ、そういう自己を確立しながら、本当の智慧を育んでいく。そんな新年としたいものです。