語彙力こそ、教養である。 ことばの力を蘇生させるために。

(2017年03月08日 更新)

若い世代の語彙力低下が問題になっています。このたび文科省が発表した新しい学習指導要領でも取り上げられており、専門家は「基礎となる語彙の数が不足している」と警鐘を鳴らしています。日本語のボキャブラリーが少なく、教科書の文章も理解できない子どもが多数いるレベルは、確かに危機的でしょう。
 
その要因として、少子化や活字離れが挙げられていますが、その問題の根っこはすでに家庭内から発生しているといいます。ある調査によると、スマートフォンの普及によって家族との会話は3時間半も減ったといいます。若い人はスマホで、LINEでしかやりとりできず、改まった文章にふれることがありません。短文で日常レベルの文に馴染んでしまうと、新聞記事程度を読み通すのも億劫になるのではないでしょうか。
 
齋藤孝さんのベストセラー『語彙力こそ教養である』では、なぜ昔の日本人が語彙に富んでいたか、その理由を、音読・素読によって身体に馴染ませてきたからと指摘します。

「文字どおり『習うより慣れろ』の素読こそ、じつは語彙習得のいちばんの近道……本来語彙を身につけるには、その言葉が含まれる文章ごと文脈のなかで覚える方がずっとラクなのです」 
 
江戸期の寺子屋がいきなり論語素読で始まったように、意味はわからずともことばのリズムやメリハリなど耳で感得していく。語彙は暗記ではないのです。現代の生活でいえば、そのテキストにあたるものはさしずめ家族の対話でしょうか。たまにはスマホを消して、家族どうし、じっくり話し合ってみることから、語彙の獲得は始まっているのかもしれません。