早期英語教育は必要か。仏教と「身体言語」。

(2016年06月03日 更新)

先日、幼稚園で英語教育のシンポジウムを開催しました。100人以上のお母さんが参加し、英語についての熱心さがうかがえました。グローバル社会だから、国際語である英語はなるべく早くと、今や幼稚園からは当たり前、今後は小学校での必修化、教科化など、早期英語教育についてブームは加熱する一方。では、早くやればやるほど英語力はつくのかというと、これには異論も多く、とくにまだ十分でない母国語がおろそかになるという弊害論は根強くあります。しつけや生活習慣を危惧する声も多く、甲論乙駁、議論がかまびすしく続いています。

さて、英語もだいじですが、私には最近の日本人の表情や仕草、態度などのコミュニケーション力の劣化が気になります。テレビやスマホ漬けになる一方、他者への関心や関係は貧しくなっていないでしょうか。

世界で英語圏と非英語圏(イスラムや中国)の対立があるように、「言語」はどうしても説明や理解や合意を必要とします。もちろんそれも大切ですが、一方で意味世界に頼らない、非言語(ノンバーバル)のコミュニケーションも見落としてはならないと思います。どなたも経験があると思いますが、身振り手振りは意外に通じる国際言語なのです。

パドマ幼稚園の仏教教育では言葉以上に儀礼や作法、態度やふるまい、姿勢を重視します。合掌礼拝の姿は、言葉以上に日本文化を能弁に伝えます。幼い時に身についた身体の伝統の型は、グローバルな世界で通用するその人自身のアイデンティティとなります。言葉だけでは伝えきれない、そういう身体言語の基本を、幼児期のうちにしっかり埋め込んでおきたいものです。家庭のしつけの大切さが求められるでしょう。

現在の子どもたちが大人になる頃には、英語力はすでに当たり前になっているかもしれません。同様に幼い間に育まれた人間の基本は、時代を超えて、不変の原型として生涯を支え続けると思います。