がんの時代、死生観を取り戻す。

(2016年03月04日 更新)

読み手の高齢化もあるだろうが、全国紙が末期医療を取り上げる記事が多くなった。朝日も毎月のように連打していて、21日にも「最期の医療」を特集していた。多くは在宅死を見送った家族たちの声を集めている。

紙面では、元淀川キリスト教病院の看護師で、現在京都大学教授である、田村恵子さんが、こんな発言をしている。

がんは今では5年生存率が6割に迫り、必ずしも死ぬ病ではなくなりました。私はがんのケアの中で、早期がんを治療して治癒した時、つまり患者さんが一番喜んでいる段階であえて「これからの人生とご自分の最期について考えてみませんか」と問いかけていました。

「今回は『無罪放免』ですが、再発や転移の可能性はゼロではない。今ならじっくりと考えられます」と話せば、患者さんは将来に少し不安があるから、みなさん納得して、深く考えてくれます。この時間が大切なのです。

最期の医療、長年支えてきた看護師に話を聞きました:朝日新聞デジタル

日本人は死を遠ざけるばかりで、いざ直面するとおろおろするばかり。それがもったいない、とも田村さんは言う。死にかかわる深い洞察がない。

2人にひとりが患者という、「がんを生きる」時代となった。介護社会とは、違う言い方をすれば大量の緩慢死と向き合っていかねばならない。病院に封印されていた死は、今は徐々に地域へと帰還しつつある。死を意識して、なお生き続けるというこの時代は、ひょっとして日本人がもう一度死生観を取り戻すチャンスなのかもしれないと思う。

 

そのことと、伝統宗教の再生とはすぐにはつながらない。たいせつなことは、がんを生きる人が主体を維持しながら、伝統的な宗教(死生観)から読み取るような態度、あるいは、それを架橋する翻訳者(たとえばスピリチュアルケアワーカー)の役割ではないか。

少なくとも臨床においては、上から目線の布教は用を成さない。どこまで相手の死生観の語りに寄り添い、聞届けることができるか。語り直す、聴き直す。そういう相互関係がこれほど深い意味を持つ時代はない。