〈映画評〉「6才のボクが、大人になるまで」

映画は、時間推移を大胆に省略することで成り立つ芸術である。SFXが発達して、超リアルなフケメイクも可能となった。30代の役者だって、違和感なく80歳の老人を演じられる。

子どもだけがそうはいかなかった。子どもから青年期と演じ分けるのは、子役が絶対必要であって、どうしてもそこにはナマの人間の成長に追いつけない、映画的時間というものがあった。のだが…。

「6才のボクが、大人になるまで」は、実際に6才の少年が18歳になるまで、ずっと毎年夏休みだけ(!)撮り続けた映画である。れっきとした劇映画だ。イーサン・ホークなんてスターも出ているが、彼も12年前この映画にクランクインして以来同じ父親役を演じ続けている。時間が役者の成長や変化にシンクロしているのだ。

だから所々、出て来る12年間のアメリカ社会の変化だって、過去を(忠実に)再現したものではない。少年は確かに10歳の頃、ハリーポッターに熱狂していたのだ。映画というつくりもの(本質的な再現性)でありながら、ウソでないリアルが持続していくのは驚異だ。

主人公の彼が途中でもし途中でぐれたり、不始末を犯したら、映画は忽ち中止に追い込まれるのだろう(それとも脚本を変えるのか)。子ども時代の彼が、どこまで俳優としてもつのかだって未知数だ。12年という時間は、ただ製作期間の長さだけではなく、ずっと主人公の少年の成長に寄り添いつづけた監督の人格がもたらしたものなのだろう。映画の可能性を感じた。評価A−。

付記

15歳の誕生日に、彼が家族からもらうプレゼントが「名前入り聖書」と「先祖伝来のライフル銃」だった。家族団らんの穏やかなシーンなのだが、息を呑む。