映画評「ポエトリー/アグネスの詩」

 青年期、誰でも一度は詩作に憧れたことがあるだろ。現実に追われるうちにやがて詩情を失っていくが、再び人生の成熟期に目覚める人もいる。韓国映画「ポエトリー アグネスの詩」は、初期の認知症と診断された、そんな初老の女性アグネスが主人公だ。

 物語は孫の起こしたレイプ事件にアグネスが巻き込まれていくプロセスを追うが、現実の忌わしい事件に翻弄されつつも、老女は初めて詩を書く喜びに溺れていく。

 詩作とは現実から逃避することではない。いわば「詩の美学」をアグネスは求めながら、次第にレイプされて自殺した少女の痛みに感応していく。そこに詩の魂が誕生する、という表現の宿阿のようなものを描いている。

 「私たちは一日一日、自分が問題なく生きていればいいと思っている。しかし、周囲や地球のどこかで誰かが苦しみ血を流している。他人の苦痛と自分の日常は関係ないのか」と、監督のイ・チャンドン。いわば無関係な他人(3人称)の死を、表現を通して、かけがえのないあなた(2人称)の死へと転化していく。きわめて大乗的な精神だ。

 悲しみは、表現を育む。閉ざされた感情を告発や糾弾ではなく、表現によってわかちあっていく。言い換えれば、悲しみから美の物語を汲みだして、多数の読者の共感を惹きつけるのだ。

 それにしても、韓国は地方都市であっても、詩作教室がこれほど活発なのか、と驚いた。熟年世代が、自作の詩を朗読する集いも出てくる。その一点だけで、すでに日本人は美を生きることを諦めていないか、と思う。(2010年 韓国)