最近終活の世界で、「ひとり死」なる言葉がもてはやされていると聞く。「孤独死」は寂しいが、「ひとり死」であれば、意志が加わって前向きになれるというのだろう。しかし、それは同時に、他者のかかわりや思いやりを拒む意志もこめられていないか。かくして死はますます孤立化して、周囲が関与する機会さえ奪っていく。
イギリスでも事情は大差ないらしい。だが、映画「おみおくりの作法」は、それを嘆くわけでもなく、咎めるわけでもなく、死者への追惜を通して、静かな哀感を描き出している。ウベルト・パゾリーニ監督は小津安二郎の作品群に影響を受けたと述べているが、頷ける。
舞台はロンドン。孤独死を遂げた人の葬儀を行政側で受け持つ民生係の中年男が主人公だ。葬儀といっても、身内の参列は望むべくもない。誠実で几帳面な彼は一人列席して「おみおくり」を続けているが、突如役所から「時間をかけ過ぎる」と解雇を言い渡される。近所の家で孤独死した男の案件が最後の仕事となり、彼は男の人生のルーツを訪ねて旅に出る……。
死には、ふたつの人称がある。一人称でいえばそれまでの生の完結だが、二人称から見れば死者との惜別であり、また追慕である。血縁があろうがなかろうが、映画の主人公のように「送る人」が介在するだけで、二人称の視界は拡がる。死が周囲とのつながりの中に蘇るのである。それは、宗教者の役割に近いのではないか。
主人公は葬儀が終わると、自分が担当した死者の遺影を、たいせつにアルバムに蒐集していて、折あるごとに見返している。まるで「あなたをけっして忘れない」と誓うかのように。どんな死にも送る人がいる。悼む人がいる。それを気づかせてくれるラストシーンがすばらしい。2013年、イギリス=イタリア映画。
