〈映画評〉「否定と肯定」

 並みの法廷劇ではない。裁かれるのは歴史の真実、ナチスによるホロコーストは本当にあったのか、なかったのか。「否定と肯定」は、2000年ロンドンで判決の下った有名な裁判を映画化している。

 ユダヤ系の女性で米国人歴史学者リップシュタットは、ホロコースト否定論者を批判する書物を著すが、実名を挙げて非難されたイギリス人歴史学者アービングがこれを名誉毀損として提訴する。ユダヤ人大量虐殺をめぐって、まさに歴史論争が繰り広げられるのだが、米国とは違う裁判制度や弁護団の法廷戦略に、リップシュタットは大いに戸惑う。被告である彼女自身が発言する機会もなく、収容所から生還した生き証人の出廷さえ拒まれる。そこから弁護士たちによる真実追求のための法廷闘争が始まる‥‥。

 英国では原告ではなく、訴えられた被告が立証責任を負う。リップシュタットは正義を信じる有能な人物なのだが、裁判の戦術上、逆に自分を封じ、感情を抑える役割を強いられる。否定論者はこれをますます煽りたてる。じりじりと迫ってくる怒りと焦り。法廷劇でありながら、理性と感情が交錯しながら進んでいく構成が見事だ。

 弁護団の闘いは、歴史という巨大なパズルに、一つひとつ根気よくピースをはめていくようだ。「強制収容所のガス室は遺体消毒のための部屋だった」というような言説を反証するために、アウシュビッツの現地調査に赴く。史実とは何か、それを根本から再確認する作業である。

 今日、フェイクニュースが取り沙汰される。歴史認識を巡っても異論は尽きない。史実の再検証において、虚偽や曲解があってはならないが、リップシュタットが言うように、しばしば「真実はフィクションより脆く、理性だけでは守りきれない」ことを肝に銘じておきたい。監督ミック・ジャクソン。

(2017年 英米合作)