対談の二人は共に昭和17年生。本名も同じという。専門は作家(嵐山)、僧侶・社会学者(大村)。
「私は霊は不滅と思い定めていて『あの世』で再会できると」確信する嵐山の死生観は、大村の「浄土再会のイメージ」ともピタリと一致。本書はそんな二人が無縁社会、おひとりさま、長寿社会の死生観、慰霊・追悼のあり方、葬式の意味と墓、遺骨への愛情と執着を語り合う。
現代の葬送や儀礼を「葬式の効用は、友人や親の死を受け入れ、供養するだけでなく自分の死を認識」することと捉える嵐山に大村は「死後のイメージトレーニング」の必要性を説き、その入口が「葬儀」という手続きだと述べる。諸行無常観の理解など、葬儀の場面が死の学習の契機となるためだ、と。つまり葬儀を通じて見える真の人生、そこに「上手な逝き方」を示唆する。二人は限りなく明るくユーモアに富んだ語り口で現代の死生観を披露する。
上手な逝き方
嵐山 光三郎・大村 英昭 著
●集英社新書(2010年/735円+税)
(初出:2011年冬 サリュ・スピリチュアルVol.3)