「かなしみ」の哲学 ─ 日本精神史の源をさぐる ─ 竹内 整一 著

上代-近世(物のあはれという日本古来の流れ)と近-現代(近代知による合理・批判・自我の流れ)の対比のなかに「かなしみ」の様々な形相を捉え、そこに「日本精神史の源」を探る。
上代-近世の「『かなしみ』は倫理や美や超越性にひらかれる契機で」あり、「永遠の根源」へと感情を浄化し、無限のあるものと出遭う祈りでもあった。
しかし近代知が支配する個人・知性・合理・批判の漆に塗り込められた「かなしみ」は、そこに補助線も引けず、「存在の喪失、欠落、損傷、疎外、彷徨」という有限性と愛憎のみに執著し、悲劇のセンチメンタリズムを深めていく。そこに補助線を引いた漱石は「則天去私」に至り、ニヒリスト白鳥は「あきらめ」の中で突如、祈った。
有限(肉性)と無限(霊性)のはざまにうごめく人間の実存に迫る好著。

「かなしみ」の哲学 ─ 日本精神史の源をさぐる ─
竹内 整一 著
●NHKブックス(2009年/970円+税)

(初出:2012年冬 サリュ・スピリチュアルVol.6)

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