〈映画評〉自然法爾の情感ゆたかに。映画「あん」

河瀬直美監督の新作「あん」は、この監督のこれまでの作風と著しく異なる。

大自然と人間の織り成す神話劇のような世界は後退して、代わりにありふれた桜並木としがないどら焼きの店が映画の舞台である。

物語はこうだ。刑期を終えて、どら焼き店の店長となった中年男がいる。その店に見知らぬ老女徳江がやって来て、働かせてくれと懇願される。しぶしぶ受け入れたが、徳江のつくる粒あんが評判となり、みるみる行列店に。しかし、徳江がハンセン病である噂が広まって、人知れず姿を消す。中年男たちは、療養園でひとり人生の晩年を過ごす徳江を探し出す……。

ハンセン病差別を描く映画ではない。難病であるがゆえ尊厳を奪われた人と、人生に落伍して尊厳を捨てた人が出会う映画なのだが、両者をつなぐのは、桜の木々である。人は大自然の脅威に抗えないが、四季移ろう桜並木の下であれば、大切な誰かと巡り会い、かかわりあい、また別れもするのかもしれない。さりげない日常に込められた生きることへの切望と悲哀を、誠実にそして抑制的に描いて好感が持てる。

映画の終盤に、「桜葬」が登場する。固有の墓をつくることのできなかったハンセン病の人たちが、墓標代わりに植林をした。療養園の片隅に植えられた桜の木の下に、遺骨を葬るという場面だ。

一本の桜に表象された無名の人生は、確かに誰かの心に生き続け、それは四季とともに永遠に巡っていく。「自然法爾」を思い浮かべる。

「ただそこに在るだけではない。わたしがいるからそれが存在する。お互いがお互いをそう想いあり、慈しみあう世界の扉がここにある」

監督のこの言葉は、縁起観そのものだと思う。5月30日全国公開。徳江を演じる樹木希林をはじめ、演技陣がすばらしい。(2015年 日仏独合作)