「生きづらさ」という言葉がいつ頃生まれたのかは知らない。見かけは充たされてはいるが、予め何かが欠落しているような感覚は、日本の今を言い当てている。それを社会的に語ると、格差、孤立、あるいは貧困や自死など「問題」として切り取られていくわけだが、じつはもっと曖昧で、漠とした個人の不安や揺らぎを抱え込んでいる。
橋口亮輔監督の7年ぶりの新作「恋人たち」は、そういった生きづらさを真正面から描いて秀逸である。近年の日本映画ではまず見られない、人々の絶望やいらだち、虚無を次々と描き出すのだが、不思議に不快感はなく、むしろ爽快さをおぼえる。ワークショップを通して抜擢された無名の俳優たちの存在感が圧倒的だ。
3人の男女の物語がオムニバス的に進む。通り魔事件で妻を失い、橋梁点検の仕事をしながら裁判のために奔走するアツシ。そりがあわない姑や自分に関心のない夫との平凡な生活の中で、突如現れた男に心揺れ動く主婦・瞳子。親友への想いを胸に秘めた同性愛者で完璧主義のエリート弁護士・四ノ宮。三者三様の愛と喪失が描かれる…。
欠陥を抱えた3人はそのまま私たちである。誠実に生きようとするほど、排除され、否定され、理不尽な目にあう。「飲み込めない思いを飲み込みながら生きている人が、この日本にどれだけいるのだろう」(監督)。
その生きづらさを社会制度やサービスで解消しようというのではない。自己を否定し、社会を糾弾するわけでもない。失い、傷つき、それでも生きつづける人を、そのまま受け入れる大きな慈悲のようなまなざしはどこにあるのか。ラストシーンで救われるのは、この映画に人とのつながりへの肯定や信頼感が底打ちされているからだろう。
宗教的なものは何も登場しない。いや、それを云々する前に、「救済」を掲げる現代の宗教が何を見て何を見ていないのか、そこを学び直したほうがいい。
(2015年・日本映画)